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遥かなる旅 8

二人は陸路で、西へ西へと、進んで行きました。
そしてその道すがら、ちょうどイタリアに差し掛かった辺りでの、出来事でした。

二人はいつもの様に、宿で一晩明かし、朝、出発する準備を整えていました。
宿の主人は、二人に好感を持っていて、親しみを込めて、話しかけてきました。
主人「それであなた方は、これからどこに向かうんです。」
アベルは、爽やかに答えました。
アベル「ぼく達は、スペインの西端から、船に乗ろうと思っているんです。そこから、地の果てまで向かう…。」
主人は、驚いて言いました。
主人「そりゃあ、大変な旅だ。地の果てといえば、地獄の大門があるところじゃないか?そんなところまで…。本当に、気をつけて、行ってきなさいよ。」
アベルは、笑顔で言いました。
アベル「ええ、何から何まで、ありがとうございます。そうだ、エリヤ様…。これからどこかへ、立ち寄るとか…。」
エリヤは、背嚢を背負いながら、言いました。
エリヤ「この先にある、迷いの森に、ちょっと用があるんじゃ…。」
主人の顔が、曇りました。
主人「迷いの森、ですって…?」
アベルは気になって、尋ねました。
アベル「そこに、何かあるんですか?」
主人は、首を横に振りながら、言いました。
主人「悪い事は言わんから、あそこへは近づかんのが、身の為だよ…。ほら、ここからでも見えるだろう、あそこをご覧。」
主人が指差した先には、遠くに、樹齢何千年は経っているであろう、巨大な杉の木がありました。
主人「あの杉の木はな、人間に対して、怒りを抱いてるんだ…。それで、あの木に近づこうとするもの、つまり、迷いの森に入るものを、森の奥深くに引き込んでしまう。そうするとその者は、もう人間ではいられなくなって、森の精として、森の一部になっちまうんだよ。それにな…。」
アベルは、少し怖くなりました。
アベル「それに…?」
主人は、語るのも厭わしい様子でした。
主人「あの森の中心には、気の触れた魔法使いがいて、誰彼構わず、呪われた議論を吹っかけるらしい。その魔法使いと話していると、答えの出ない、魔法のかかった問答を延々続けさせられる。そしてしまいには魔法が効いてきて、気が狂っちまうんだそうだ…。」
エリヤは、特に気にする様子もなく、いいました。
エリヤ「わしらは、その魔法使いに会いに行くんじゃ。」
それを聞いて、主人の顔色が、みるみる変わりました。
主人「何だい、あんた達はあの、気狂いのお仲間だってのかい!?おお、忌わしい。それなら、早く出て行ってくれ!この宿の敷居は、二度と跨がないでくれよ。」
主人は何度も十字を切り、二人は追い出されてしまいました。

二人は迷いの森へ向けて、歩いて行きました。
アベルは、空を見ながら言いました。
今日も、いい天気でした。
アベル「気狂いなんて、何だか背筋がぞうっとする…。でも、エリヤ様。何だってそんな人に、わざわざ会いに行くんです?」
エリヤは、厳しく言いました。
エリヤ「アベル…。噂で、人の真意を図ろうとしては、いかん。わしは、こんな風には考えたくはないのだが…。よく考えてごらん。世の中には、物のよく分かった人と、分からない人、両方おる。どちらの方が、人数が多いと思う?」
アベルは、よく考えずに言いました。
アベル「大抵の人は、常識もあるし、よく分かっているんじゃないですか?」
エリヤは、戒める様に言いました。
エリヤ「残念じゃがな、世の中は圧倒的に、物の分からない人の方が、多いのじゃ…。もちろん、そういう人達だって、心の奥底では、真実を感じ取っておる。しかし、それを筋道立てて、理解する力に乏しいのじゃ。わしの人嫌いも、まあその辺に理由があるのじゃが…。」
アベルは、よくわかりませんでしたが、自分の考えが、浅はかであった事だけは、何となくわかりました。
アベル「お話、よくわかりました…。」
エリヤは、少し言い過ぎたと思い、反省しました。
エリヤ「わしが言いたかったのは、何でも自分で確かめてから、結論を出しなさい、という事じゃ…。人からの伝聞はな、所詮その人物の、器や度量の範囲に収まっておるのじゃから。自分の目で、自分の足で、真実を捕まえていくんじゃよ…。」
アベル「はい!」
アベルは、そう返事しながら、そんな賢い考え方が、いつか自分に身につくのだろうか、と不安を覚えていました。