遥かなる旅 10

預言者イザヤは、小屋の中で、本を読んでいました。
エリヤは、挨拶もせず、いきなり尋ねました。
エリヤ「イザヤ、何を読んでおるんじゃ?」
イザヤは目も上げず、答えました。
イザヤ「ショーペンハウアー、読書について。」
オラワンは、にこにこしながら、お茶の支度を始めました。
オラワン「さあさあ、エリヤ様もアベルさんも、席に着くズラ。今、お茶を出すズラから…。」
イザヤは、本から目を離さず、言いました。
イザヤ「オラワン、私にも頼む…。いいぞ、いいぞ!面白くなってきた。やれ、やってしまえ、ショーペンハウアー。」
アベルは初めて会う、この高名な預言者は、何者なのか?と、思い始めていました。

二人は、長く待たされました。
一時間は、経っていたでしょう。
どうやら、このイザヤという男は、本を全部読み終えるまでは、客の相手をする気が、ないようです。
アベルは、エリヤに小さい声で、不満を漏らしました。
アベル「初めて会う客を、一時間以上待たせて、しかもその間、本を読んでいるなんて、どういう神経なんですか?」
エリヤもまた、小さい声で、言いました。
エリヤ「うん、まあ、この男は少々変わり者でな…。しかし、天才であることは、間違いない。天国でもモーゼの前に、議長を務めておったんじゃが、カミソリと呼ばれ、恐れられておったよ。」
それからしばらく経って、イザヤはようやく最後のページに、指を掛けました。
アベルは、ようやく話が出来ると、安堵しました。
しかしイザヤは、最後まで読み終えると、今度はまた、最初から読み始めたのです。
イザヤ「この、ショーペンハウアーという男は、天才だな…。こんな素晴らしい考えを、俗物どもが理解するはずはない。」
アベルはうんざりしましたが、オラワンは、何が楽しいのか、終始にこにこしていました。
エリヤは、ハッキリと言いました。
エリヤ「相変わらずじゃのう…。イザヤ。」
イザヤは、返事をしませんでした。

二人が小屋に来てから、三時間が経過していました。
イザヤは、ようやく本を置き、お茶を一気に飲み込むと、オラワンに話し始めました。
イザヤ「オラワン、お前にはまるで理解できんだろうが、ショーペンハウアーという男は、神の被造物の中でも、最も優れた存在の一人だ!私に匹敵する、類稀なる頭脳の持ち主に、違いない。この本に何が書かれているかと、いうとだな…。」
エリヤは、声を上げました。
エリヤ「その話は後じゃ!預言者イザヤよ、天国に戻り、議会の顧問を務める気はないか?」
イザヤは、軽蔑する様に言いました。
イザヤ「天国だって?バカバカしい…。お前達の仲良しごっこには、付き合いきれんよ。」
エリヤは、強引に続けました。
エリヤ「天国の議会では、まだ若いモーゼを侮る者も多い。そのモーゼを、お前さんの天才で、支えてやってほしいのじゃ。これはイエス殿、直々のお言葉じゃ!」
イザヤは、唾を吐きました。
イザヤ「モーゼか…。あんな奴は、侮られて当然だろう?世界が狭いんだ、何も知らんからなあ。一度、天国を出て、世界をぐるりと一周すればいい。そうすれば、この世界の多様さに、気付くだろう…。何なら、悲しみの山にでも、登ればいいのだ。あそこは、人の生き方を変える。同じ物が、同じ様に、見えなくなる場所だ。」
エリヤは、すかさず言いました。
エリヤ「それがわしの、わし自身の要件じゃ。わしは、その山に登る。お前さん、悲しみの山に、登ったじゃろう…。そして程なくして、天国を去った。」
イザヤは、エリヤの蒔いた種に、食いつきました。
イザヤ「そうか、悲しみの山について、私に話が聞きたいのか…。やはり、エリヤ!天国の中でお前だけは、私が話す価値のある、唯一の男だと思っていた!」
アベルは、思いました。
人々の噂は、当たってはいないが、外れてもいない。
この男は、狂ってはいないが、相当な変人で、まともな態度では、話にならないのだ、と。
一方エリヤは、狙った獲物を、罠に向かって追い込んでいく、猟師の様な目付きで、イザヤを見詰めておりました。
オラワンは、餌を待ってお座りしている、犬の様に喜ばしげでした。