聖書・ルカ伝 3

ルカは、深く思い詰めていました。

ルカ「このまま、ヨハネの認識が普及していく事で、人々は冷静さを失い、自分の思いのみに囚われるようになるだろう…。そうして、誰も彼もが、他者への慈しみや思いやり、そうした美しい感情を失い、自分のエゴを追い求める様になる。これは、危機だ!まさしく天国は、今崩壊しようとしている!」
ルカは、対策に乗り出しました。
ルカ「その為には、人々を啓蒙する、正しい物語が必要だ…。それを、適切な形で完成させられるのは、私しかいない。」
ルカは、物語を書き始めました。
 
オオカミが、大切だと思った事 (それは、他者にとっては、必ずしもそうではない。)
今より、約100年前の事。(これ以上の正確さは、物語を語る上で、相応しくないと思う。)
ヨーロッパ大陸イベリア半島を、隔てるピレネー山脈に、その村はあった。
恐らくは、スペイン側だと思われる。
主人公の人物造形からして、かなり情動に流されやすい人物であるから、恐らくはスペイン人であろう。
村はとても小さかった為に、名前は伝わっていない。
そこに、ノン(こんな名前の女性は、私は聞いた事がない。恐らくは作者の、雑な思い付きに依るものだろう。もし名前を付けるなら、聖書を紐解くとか、やりようはあるのではないか?)という名前の、10歳になる女の子が、住んでいた。
ノンが住んでいたのは、正確には村ではない。
その近くの、洞穴である。
驚くべき事だが、彼女はそこに、一人で住んでいた。
そんな事は、考えていけば、ありえないことである。
しかし私は、そこに出来るだけのリアリティを、与えたいと思う。
彼女は、その性格からして、盗みで生計を立てていた。
例えば、パン。
彼女は、村のパン屋から、パンを盗んでいた。
だが、パン屋の主人は成人した、恐らくは中年の男性である。
その目を盗んで、パンを奪い続けることが、出来るだろうか?
出来るはずもない。
これは私の推測だが、パン屋の主人は、ノンがパンを盗むのを、見逃していたのだ。
田舎者特有の、おおらかさで。
作者はここから、この村の住人達が、比較的善良であったと、そう描写したいのであろう。
そうして彼女は、日々のパンを得ていた。
しかし彼女は、盗みのみによって、生計を立てていたのでは、ない。
彼女は手作りの釣竿を用意して、魚を釣っていた様だ。
これは、賢い行為である。
お金を持たない彼女にとって、川魚は貴重なタンパク源であったろう。
またその他にも、木の実を採集する事も、していたようだ。
ノンはそうして、その日その日を凌いでいた。
しかし彼女の精神が、高度に発達していた事が、以下の事から、読み取れる。
彼女は、宝物を欲していたのだ。
自分自身が、この対象となる物に、愛情を注ぐ事で、精神的に満たされるような。
これは、残念な事であるが、生活する以上の欲求を、人生に見いだせる人は、稀である。
多くの人は、何の楽しみも人生には見出せず、その日を暮らすこと以外には、なんの考えもない。
誠に、嘆かわしいことだ。
彼女の話に、戻ろう。
彼女はその手段を、誤まっていた。
彼女は宝物を、自分自身の思い入れや好みから、見つけようとはせず、他者のそれを羨んだのだ。
それは、大変愚かな事だ。
愛情というものは、所詮その人個人の、思い入れである。
他の人間が、いくらそれを好きだと言っても、自分がそれを好きになれる訳ではない。
そしてノンは、罪なる行いに走った。
他者の(主に、子供である。)の、宝物を奪い始めたのだ。
時に目を盗み、時に暴力をもって。
そして、自らの住居である洞穴に、それを蓄えていった。
ここに、彼女の思い違いが、もう一つある。
人間が何かを手にしようとするとき、それは手にする事その物が、目的なのではない。
例えば食器であれば、それに食事を盛り付けることが目的であるし、楽器であれば、それを演奏して楽しむためである。
しかし彼女は集めた宝物を、ただ収集・保管しておいた。
彼女が奪った宝物は、殆どがおもちゃであった筈だが、それで遊ぶ事はしなかったのだ。
だから彼女の心は、満たされないまま、他者の宝物だけが、増えていった。
考えてみれば、哀れなことである。
何かを愛したいと望みながらも、愛する事が何なのか分からない。
それが、この物語が書かれた所以である。
そうしてノンは、罪を重ねていった…。
 
ルカは、作品の出来栄えに、大変満足でした。
ルカ「これは、素晴らしい…。予想以上の出来栄えだ!ここには、決して自分の感情に溺れたりはしない、純粋な、他者に対する理解がある。まだ、導入部だけだが、これは何としても人々に読ませなければ、ならない!そしてこの物語が、天国の未曾有の危機を救うのだ…。」
ルカは、自分が神になった様な、気分でした。