聖書・ルカ伝 4

ルカは、書きかけの原稿を持って、天国をウロウロしました。
誰でも、良かったのです。
暇そうで、自分の作品を否定しなそうなら。
ルカは議会の隣にある、事務所を訪ねました。
そこではマルタリアが、パソコンに向かって、議事録を入力していました。
マルタリアは、明日の本会議に向けて、これまでの記事録をまとめておくように、ペトロから頼まれていて、大慌てでした。
ルカは紳士的に、(少なくとも本人は、そう思いました。)マルタリアに話し掛けました。
ルカ「こんにちは、マルタリア君…。ヨハネの発表した、オオカミの宝物は読んだかい?」
マルタリアは、一瞬ルカの方を見ましたが、それどころではありません。
しかし、無視するわけにもいかないので、一応返事はしました。
「こんにちは…、読みましたけど…。」
ルカは、自分の話に食いついたと見て、ここぞとばかりに、畳み掛けました。
ルカ「私は、思うのだ…。マルタリア君。ヨハネの、オオカミの宝物。あれへのヨハネ自身の思い入れは、同じ福音史家としてよくわかる。しかし、人々はどう思っているだろうか?いや、表面的な感想など、何の価値もない…。私が聞きたいのは、真実の魂の叫びだ!」
マルタリアは、ルカが何を言っているのか、さっぱりわかりませんでした。
マルタリア「面白かったですよ…、でも、もっと読みたかった…。」
ルカは、我が意を得たり、と気分が高まりました。
ルカ「そうだ!大切なのは、人々の声だ!あの作品に対する、人々の声なき声…。それを、私の霊感は捉えた。」
マルタリアは、どう返事をしても、話は変わらない、とうっすら感じました。
マルタリア「ええ…、だから、面白かったんです、私には…。」
ルカにはもう、マルタリアの声は、耳に入りませんでした。
ルカ「あの作品は、悪書なのだ!人々を、悪徳へと誘う…。もしかしたら、私だけかも知れない。それに、気づいたのは。だから、私はペンを取った!ペンによる悪魔には、ペンで対抗する!それが、人間の良心というものだ。読んでくれ給え、マルタリア君…。私の作品を!」
ルカは、マルタリアに無理矢理、自分の原稿を握らせました。
マルタリアは、ルカが怖かったので、受け取っておきました。
マルタリア「ありがとう…。後で、読みます…。」
ルカは、目を見開きました。
ルカ「後では、やらないのと一緒!」
マルタリアはどうする事も出来ず、原稿に目を通しました。
しかし、読んでも読んでも、内容が頭に入ってきません。
一つ一つの文言が、マルタリアの感情に逆らうのでした。
マルタリアは、とうとう追い詰められて、言いました。
マルタリア「とっても、素敵ですね…。いつか、わかってくれる人が現れる事を、祈ってます…。」
ルカは、相手の話を聞くのが、大変得意でした。
褒められた部分だけが、上手く頭の中で組み立てられて、不本意な部分は、シャットアウトされるのです。
ルカは、喜びました。
ルカ「マルタリア君、君は慧眼の持ち主だ!神の霊感の、本当の理解者だ!その心がけが、出来るだけ長続きするように、日々努力を惜しまないように…。」
ルカは、意気揚々と引き揚げて行きました。
マルタリアは、天気のいい日に散歩していたら、不意に現れた野良犬に、足を噛まれた様な気持ちでした。
ルカは、次にマグダレーナを見つけました。
ルカは、願ってもない読者だと、思いました。
マグダレーナは、ちょうど休憩していて、お茶を飲みながら、ノヴァーリス青い花を読んでいました。
ルカは、何も気にしない、鉄の精神で話し掛けました。
ルカ「マグダレーナ君、ちょっといいかな…?」
マグダレーナは、ちっともよくない、と思いながらも、返事をしました。
そして、先程と似た様なやり取りが交わされ、ルカはやんわりと嫌がるマグダレーナに、無理に原稿を読ませました。
マグダレーナは、思いました。
この文章は、一体何を意図して、書かれたものなのか、と。
読んだ人の、心を安らげる訳でもなく、共に、涙を流すわけでもない。
マグダレーナの心に、ゴミクズ、という言葉が浮かんで、離れませんでした。
答えようが無かったマグダレーナは、こう言いました。
マグダレーナ「複雑な思考が、わかりやすく書いてあって、面白かったわ。でも、何も手を加えなくても、ヨハネの作品は価値がある…。」
ルカは、嬉しくて飛び跳ねました。
ルカ「マグダレーナ、君は自分の信仰に、正直な人だ…。そうした人は、今時珍しい。是非これからも、そうあってくれ給え。そうした人は、真に価値ある人なのだから。」
ルカはスキップして、去って行きました。
マグダレーナは、自分のお気に入りの花園に、猫の汚物を見つけてしまった様な、気持ちになりました。
ルカは今度は、聖母マリアを見つけました。
マリアはちょうど、預かっていた子供達を、両親に返しているところでした。
その後のやり取りは、前の二人と変わりません。
マリアは、原稿を読んで、絶望的な気分になりました。
読み進めても、何の感情も湧いてこなかったからです。
物語なのに、何の想像力も感じられないし、書かれている人間に対する洞察や理解よりも、ルカ自身の思い上がりばかり、目につきました。
マリアは、自分の信仰にかけて、思いました。
何故こんな矮小な男が、天国にいるのだろう、と。
キリストは、何かを見誤っているのでは、と心配になりました。
マリアは、意を決して言いました。
マリア「あなたが、とても頭がいいことは、わかりました…。しかし頭が良すぎて、人の気持ちには気が回らないのですね。」
ルカは、自分は神に愛されている、と確信しました。
ルカ「何かを正しく理解する…。それこそ、全き人間の行いです。マリア様、あなたは私の目の前で、人間が動物とは違う事を、心の込もった言葉で証明して下さった。このルカ、不肖ながら、あなた様をこれからも、敬愛いたします…。」
ルカは、マリアの手の甲に、キスをしました。
マリアはこのルカと、あのルシファー、どちらの思いが不浄なのだろうと、測りかねていました。