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すばらしい日々(Grunge Spirits) 2

ゼロムは一週間程かけて、別荘の掃除をした。
ガスを開栓したり、布団を陽に当てたり、日々はすぐに過ぎてしまう。
…それらの事を、全て自力で為したわけではない。
彼から頼んだ事は、何もなかった。
ゼロムはシャイだったし、人見知りだったから。
この藤沢村の住人達は、少しお節介焼きだっのかも知れない。
何はともあれ、長野での日々はこうして始まった。
特にする事や、しなければならない事は何もない。
藤沢村は、いわゆる観光地ではなく、ありふれた何んでもない集落だったのである。
原付で駅前まで飛ばすと、聞いた事もない名前の小さなスーパーがある。
彼はそこを、よく買い出しに利用した。
店員さんは、もしかしたら顔馴染みではない彼を警戒していたのかも知れないが、下町育ちのゼロムは都会のヒステリックな愛想とは違う、柔らかい人当たりに、重く人を拒みがちだった口を開いた。
「お兄さん、見ない顔だね。どこから、来なすった?」
「東京の亀戸です。旅行で…。」
「そうかいそうかい、そりゃあ遠い所から。ご苦労様!でも、ここいらには何にもないだろう?若い人には、つまらないんじゃないかな。」
「いえ…、目にする物が新鮮で、楽しいです。」
「そうかい!また、来てくれよ。」
たった、それだけのやり取りだったが、彼はとっては小さな達成を感じた。
自炊の結果は、散々たるものだった。
ご飯は鍋で炊いたのだが、水気が多くグジャグジャで、味噌汁は出汁を知らない為、味がしない。
まともに食べられたのは、お惣菜のコロッケだけだ。
ゼロムはそれでも、腹一杯食べ一息着けた。
「空気が美味いって…、いいなあ〜。」
彼の、正直な実感であったろう。
空気は澄んでいて、空は毎日高かった。
それで、送る毎日に幸せを感じるのだ、とゼロムは密かに考えていた。
ゼロムは、水に浸けてあった茶碗をスポンジでこすった。
井戸水の自然な冷たさが、心の中を通り抜けていく…。
「別に大して、メンドくさかないな…。」
布巾で丁寧に水を拭うと、プラスチックの水切りケースに立て掛けた。

別荘から歩いて五分の近所に、小さな雑貨屋さんがあった。
ジュースやお酒、おせんべい等のお菓子、殺虫剤やら鍋やら日用品の類を取り扱う、個人商店である。
ゼロムは気が向くと立ち寄り、250mlの缶のポカリスエットを買った。
いつもなら店番をしているおばあちゃんを、大きな声で呼べば、家の居間からゆっくり出てくるのだが…、誰も居ないようだ。
彼は、もう一度呼んでみた。
もう一度。
三度呼んだ。
店の入り口は開いているのだから、誰かいるであろうと考えて待っていると…。
小さな、震える様な声がした。
「は〜い、あたしファロムです…。」
ゼロムは、誰だろう?と思った。
小さな声は続けた。
「お母さん、今いないんです。…だから、後にしてもらえませんか?」
彼は、高らかに宣言した。
「ポカリ買うだけだよ?君がやれば、いいじゃないか。」
ファロムは、しおらしく答えた。
「あたし、お金の計算出来ないんです…。」
ゼロムは、面倒臭くなり。
「ここにお金置くから。」
と、100円玉を一つ、レジに置くと店を出てしまった。
「こんな事されても、あたし困ります〜。どうしたらいいんですか?やめて下さ〜い!」
ファロムの泣き声が聞こえた。
冷えたポカリスエットは、彼の喉を潤した…。