すばらしい日々(Grunge Spirits) 6

ゼロムは、散歩していて見つけたそば屋で、食事していた。

ゼロムは、長野にやって来るまで、食にはあまり興味を魅かれなかった。
しかし、空気も水も美味かったせいであろう、何軒かの美味しい定食屋さんに巡り会う内に、舌も肥え、美味しさという悦びを見出した。
ここのそば屋は、コシが強く彼のお気に入りだ…。
ツユも、塩辛くはないのにコクがあって、美味い。
ざるそばをすすっていると、不意にメールが届いた。
…ラフィーネからだ。
あらぬ期待が湧かなかったと言えば、ウソにはなるが、軽率に喜んでいるかと言われれば、それは違う。
どうやら今晩、飲み会とやらがあり、そこに誘っているらしい…。
みんなに紹介したいそうだ。
彼は、酒を飲みつけない。
が、行ってみることに決めた。
何が起ころうとも楽しむ場なのだし、それにそういった事にも少しは慣れておきたかったのだ。
そば屋を出ると、陽が照りつけていた。
タオルを持って歩いていたが、汗を吸い込んで湿っており、もう役には立ちそうもない。
アスファルトに舗装された道路は、太陽をギラギラと反射して、彼の浅黒い肌を焦がすかの様であった。
一度別荘に戻って、着替えやらシャワーやらを済ませたかったが、サルクホテルは遠い。
間に合わないだろう…。
 
ゼロムは歩きながら、東京での日々を思い出した。
毎日が憂鬱だった。
何もかもが、自分を圧迫し抑圧していると、感じた。
何もかもが、嘘で誤魔化していると、考えてもいた。
あの日々が、まるで幻であったかの様に、今は思う。
しかし、それ程遠くない未来に、もう一度向き合わなければならないのだ…。
「それが…、それが運命なんだ。」
ミネラル・ウォーターを、飲み干す。
渇きは癒えない。
それでもゼロムは…、現在夏が好きになっていた。
…夏の空は高い、雲がムクムクと湧き上がる。
肌をジリジリと焦がす陽射しも滴り落ちる汗も、…今は不快だと想わない。
東京にいる頃、ゼロムは地面ばかり見詰めていた…。
だから天高くそびえる梢を晴れ渡る空を…、眺めている自分に気がつく。
…何もかもが、自分を燃やしているように感じる。
それは一つには、…この地の空気が良かったからに違いないが。
それだけではない、何かが変わりつつあるのだ…。
 
サルクホテルに着くには着いたが、彼は明らかに場違いであった。
ゼロムは、汗でしわくちゃになったTシャツに、湿って重たくなったジーンズ…。
周りの他の人々は身綺麗で…、まるで天使の群れに囲まれる罪人の様に、ゼロムは思った。
ゼロムは、初めの一杯はビールに付き合ったが、後はウーロン茶で済ませておいた。
色々な、彼には想像できない暮らしを送る、綺麗な人々が彼を取り囲み、何事かを語りかけたり囃したりする。
ゼロムは、その愛想の良さは…、嘲笑いだと考え始めた。
その時、ラフィーネは彼を見詰めて、針で虫を刺し通す様にこう言った。
「私、もう飲めないから…。このビール、あなた飲んで。」
ゼロムは、ジョッキを床に叩きつけ、そのまま家路に着いた。
風呂から上がると、メールが届いている…。
彼は、昨日作っておいたカレーの残りと味噌汁を温めて、夕食にした。
ゼロムは、スマホTHE CLASHの「Janie Jones」を観た。
そして、大槻ひびきさんの動画をダウンロードする。
メールはそのままにし、ギターを手にした。
もどかしい気持ちだったが、何とか納得したかった。
一瞬、聴いたことのない音がした。
それは、ほんの一瞬の事だ。
しかし、それは…。
「これは、これがオレの音なんじゃ…。」
ゼロムは、天を仰いだ。
感無量であった。
しばらくして…、ダウンロードした高杉麻里さんの動画を再生する。
何となく、…「何か」が噛み合った気がした…。
…だから、高杉麻里さんも笑っている気がする。