Black Swan -overload- 32

聖コノン騎士団によるザハイム研究所発掘現場の占拠は、大したトラブルもなく進んだ。
聖コノン騎士団が要求していたことは、あらゆる研究の停止と自室での待機といった程度のことであって、ほとんどの研究員は抵抗することなく従ったのた。
ザハイム研究員達も、大抵の者は理解していた。
何か事情があるのだ、と。
しかし、ハウシンカは別だった。
彼女はセト以下、聖コノン騎士団の騎士達の誰の指示にも従わず抗議を続けた為、騎士団は止むを得ず彼女を監禁することとなる。
監禁するとは言っても、自室にいることが許されていたし、見張りの者が付く程度のことであった。
ハウシンカは、自室のドアを内側からノックして、見張りの騎士に呼びかけた。
「どうしました、何か御用ですか?」
見張りの騎士は、朗らかに応じた。
「トイレです。いいですか?」
ハウシンカは、トイレに向かって歩き出す。
その後ろから、見張りの騎士が着いてきた。
トイレの入り口で、ハウシンカは見張りの騎士を睨みつけると一人で中に入った。
見張りの騎士は、入り口の近くで待機している。
ハウシンカはトイレに設えられている大きな窓から、外の様子を伺った。
外は煌々とかがり火が焚かれており、巡回している騎士達が数人いる。
「やっぱ、無理よね…。映画じゃないんだから。」
おとなしく、トイレの戸を開けた。
同じ頃、ゼクは狗香炉と死闘を繰り広げていた。
「どうした?最初の威勢は!」
馬上での戦いは、誰の目にも狗香炉に分があった。
「攻めなければ、勝つことは出来んぞ!そらっそらっ!」
ゼクは防戦一方である。
「くそっ!この馬鹿力め…。」
そう呟いてみたが、狗香炉は決して力任せに戦っているだけではない。
矛の扱いも上手かったし、何より乗っている馬(狗香炉は牡牛だが)を操る技術に決定的な差があった。
狗香炉は攻める時は距離を詰め、打ち終わると離れた。
当たり前に思うかも知れないが、それが完全に狗香炉のペースだったのだ。
ゼクは焦れた。
必死に受け流し続けてはいる。
そして、それは上手くなってきてはいた。
体力の消耗は少しずつ抑えられる様になってきているが、反撃には至らない。
「口ほどにもない!」
狗香炉の猛烈な一撃だ。
ゼクは、危うく落馬しそうになった。
何とか態勢を立て直す為に、無理に反撃を繰り出す。
その隙を、狗香炉は見逃さなかった。
「甘いぞ、小僧!!」
炎が噴き出す様な突きが、繰り出された。
ゼクは受け損ない、額から出血して地面に投げ出された。
地面に落ちた際頭を打ったせいか、意識が朦朧とする。
刀は、地に突き刺さった。
狗香炉は、その様子を牡牛の上から見下ろしていた。
「ゼク、まだ生きていたいか…?」
ゼクは頭を振り、必死に刀に手を伸ばす。
狗香炉は、高笑った。
「いいぞ、まだまだやれそうだな!ちょっと、待っていろ…。」
狗香炉は、牡牛を降りた。
ゼクは刀を掴み、何とか構えを取る。
「小僧、もっとだ!もっと、わしを楽しませろ!」
狗香炉はこの上もなく満足だった。
ゼクのみなぎる闘志を、粉々に打ち砕く喜びに震える…。
一方、ルカーシはヘムの村に到着した。
あちらこちらの建物に火が点けられ、至る所で住民が逃げ惑っていた。
ルカーシは、怒りに震えた。
「…何て、卑怯な者達だろう。彼らは、剣を取って戦う者ではないのに。」
素早く馬を走らせたルカーシは、今まさに若い母子に手を掛けようとしていたグールの腰、下腹部を大剣で貫いた。
カトラナズの騎士の剣は、皆定期的に聖別されている。
その聖別された剣で、存在の根幹に当たる結び目を断ち切ったのだ。
グールは、砂の様に崩れ去った。
怒りを感じていたのは、ルカーシばかりではない。
他の騎士達も怒りに燃え立ち、懸命に戦った。
騎士達の装備は剣だけでなく、鎧も楯もみな聖別されている。
不屍の者であれば、楯を押し付けるだけでも体が崩れるのだ。
まるで風がすすきの穂を凪ぐように、不屍の者達は滅ぼされていった。
そこに、発掘現場の防衛に当たっていた者達が到着する。
ルカーシは小隊長を呼び止め、事情を聞いた。
「セト様率いる本隊が先程到着し、その…。」
小隊長は、口ごもった。
ルカーシは、ピンときた。
「ザハイム研究所を、指揮下に置いたのだな?」
小隊長は、驚きながらも頷いた。
ルカーシは、ガウェイン将軍からの親書の内容を思い出していた。
…しかし先ずは、この戦いを終わらせなければならない。