鶴の恩返し 前編

f:id:ootmarsum:20141205012928j:plain

昔々あるところに、寿限無という若者が住んでいました。

大変、縁起の良い名前だと、両親がつけてくれたのです。
だから寿限無は、自分の人生には、いつも幸ばかり、舞い込んでくるのだ、と信じておりました。
寿限無は、山で薪を採って、街で売っていました。
ある日寿限無が、山で採った薪を担いで、山を下りてくると、ふもとの沼のところで、鶴が、漁師の仕掛けた罠に掛かって、苦しんでいました。
寿限無は、立ち止まりました。
寿限無「こうした事は、本当に難しい問題だ。女子供であれば、可哀想だから離してやれと、安易に情に流されるだろう。しかし事は、そう簡単では無いのだ。一方には、鶴の命がある。しかしもう一方には、猟師の生活がある。それだって、実際命なのだ。この両者を秤にかけた時、重いのはどちらなのか?その問いには、第三者が答えを出すべきでは無い。最も賢い答えは、黙ってここから、立ち去る事だ…。」
寿限無が立ち去ろうとすると、鶴は憐れっぽい仕草で、助けてくれと懇願するのでした。
寿限無「忌々しい!何と、忌々しい獣だ。自然の内にあって、失われようとする自らの命を、通り掛かっただけの、何の因果もない、他者によって繋ぎとめようとするとは!しかし憐れなのには、違いない。いや、わかっている。私は、痛い程わかっているのだ!こんな物は、一人の男の、本当の優しさなどではないと。こんな物は、ただの児女の情であると!」
寿限無は、鶴の罠を、解いてやりました。
鶴は寿限無に、一瞥もくれず、さも清々した様に、飛び去って行きました。
 
ある晩寿限無が、一人で発泡酒で晩酌していると、玄関の戸を叩く音が、寿限無の耳に入りました。
寿限無「一体何だろう?村の民は、もう皆寝ているだろうし…。こんな時間に、訪ねてくる客は、ない筈だが。もしかしたら、何かの取り立てだろうか?それならこのまま出ずに、やり過ごしてしまおう…。」
寿限無が、アサヒ本生ドラフトを飲み続けていると、戸を叩く音は、ドンドン大きくなりました。
このままだと、近所迷惑になって、この村に住んでいられなくなる、と思った寿限無は、玄関の戸を開けました。
そこには、そこそこ可愛い娘が、立っておりました。
娘「夜分遅くに、申し訳ありません…。実は私、行く宛が無いのです。一晩で、いいのです。泊めてくださいませんか?」
寿限無は、迷惑そうな顔で、言いました。
寿限無「申し訳ないが、娘さん。よく考えて、くれ給え。私は、男だよ?それも、独り身だ。そんな所に、あなたの様な若い娘が、泊まったとあっては、何かと世間がうるさい。」
娘は舌打ちし、「芸能人でも、あるまいし!」と、モゴモゴ言いました。
寿限無の、繊細な心は、深く傷つきましたが、何も言われなかったと、自分に言い聞かせて、続けました。
寿限無「ここは田舎の、それも小さな村だ。こういうところでは、噂はあっという間に広まる。そうしたら、どうなる?感情に流されては、いけないんだ。論理的に、正しく考えなければ、ならないんだよ。私は、ここに住んでいられなく、なるじゃないか!そこの所を慮って、どうか他を当たってくれないか?」
義務は、既に果たしたと、思慮深く考えた寿限無は、戸を閉めようとしました。
しかし、娘は片脚を、挟みました。
娘の素足が、露わになりました。
寿限無は、それを見て、言いました。
寿限無「何をするんだ!失礼じゃないか。私は、戸を閉めたいんだ。それを、力ずくで止めようと言うのなら、私にも考えがある…。」
しかし寿限無には、何の考えもありませんでした。
娘は、妙にハスキーな、キイキイした声で、まくし立てました。
娘「あんたねぇ!こんなうら若い娘が、泊めてくれって、頼んでるのよ?男だったら踊り上がって、家に迎え入れるんじゃないの?それを、何よ!力ずくだの何だのと。どんだけ、チキンなのよ!」
寿限無は、傷つきました。
言葉に出来ないほど。
寿限無は、懸命に努力して、体面を保とうとしました。
寿限無「わかったよ…、娘さん。あなたにそれ程までの、覚悟があると言うのなら、私も我を張るのは、よそう。ただし、あなたが私の家に、一晩泊まったとして、そこであなたの身に何が起ころうと、私は一切関知しないし、責任も持たない、それでいいね?」
娘は舌打ちし、「ダッセエ、親父!」と、モゴモゴ言いました。
寿限無は、例え命を取られても、この一線だけは譲れないと、繰り返しました。
寿限無「それで、いいね!?」
娘は、精一杯表情を作り、さも嬉しそうに、言いました。
娘「そうこなくっちゃ!ありがと。ええと…。」
寿限無は、胸を張って名乗りました。
寿限無「私の名は、寿限無!」
娘は、腹が引きつるまで、笑ってから、名乗りました。
娘「私の名前は、鶴美といいます…。」
寿限無は何も気付かず、ボンヤリと聞いておりました。
 
娘は、寿限無の布団を奪って、いびきをかいて寝てしまいました。
寿限無は、哲学的は命題に、ぶつかっていました。
寿限無「これは、私を誘っているんだろうか…?男の前で、こんなにも露わな姿を晒すなんて。それだけ、私に心を開いている、という事なんだろう…。だが、私は一匹の獣である前に、一人の紳士でありたい。どんなに女性が、私に抱かれたいと、思っていたとしても…、実際私にはそれに見合うだけのものが、自覚しないままにあるのだろうが、私の人間としての理性が、それを許さないのだ…。済まない、鶴美さん。」
寿限無は納得したので、ティッシュを引き寄せ、DVDプレイヤーのスイッチを、入れました。
 
 
鶴美は結局、何日も寿限無の家に居座り続けました。
鶴美は昼間、寿限無が働いてる間、ずっとスマホをいじるか、ドラマの再放送を見て過ごしました。
そして、くたくたなって帰って来た、寿限無を出迎えて、こう言うのでした。
鶴美「お腹減っちゃった。何か、ない?」
寿限無と鶴美の、一日の会話は、毎日それだけでした。