遥かなる旅 5

アベルは、叫びました。
アベル「エリヤ様、何を仰られるんですか!?ぼくの力を、信じて下さい。ぼくはこう見えても、レスリングのアテネ大会で、金メダルを貰ったんです!どうか、やらせてください。あんな連中、敵じゃない…!」
エリヤは、首を横に振りました。
エリヤ「わしはな、お前さんを、うたぐっとる訳じゃない…。勿論、暴力反対なんて、そんな間抜けな事を、考えてる訳でもないんじゃ。いいかね、アベル。この連中に、全部やってしまった方がいい。その方が、清々するじゃろう…。」
その話を聞いていた男は、笑いながら言いました。
男「このじじいは、どうやらキチガイだな。」
アベルは、納得出来ませんでした。
アベル「悪人達がのさばるなんて、ぼくにはとても…。」
しかし、エリヤは頷きませんでした。
エリヤ「これも、聖霊のお導きじゃ。これは、わしの勘じゃが…。きっとそうした方が、わしらにとっても、この世界全体にとっても、いいんじゃ。今に、その意味がわかる時が来る…。」
エリヤの口調は、とても穏やかでしたが、不思議な説得力があって、アベルは逆らうのを止めました。
男達は、二人の持ち物を、全て巻き上げると、悠々と去って行きました。
その中の一人が、言いました。
男「何だ、しけた連中だな!このじじい、何だか偉そうな顔してやがるから、よっぽど持っているのかと思えば、たったこれだけかよ!」
そして去り際に、エリヤの顔面めがけて、一発お見舞いしたのです。
エリヤはよろめいて、地面にしりもちをつきました。
アベル「エリヤ様!」
アベルは慌てて、エリヤに駆け寄りました。
男達は、下品に大笑いしながら、どこかに消えて行きました。
アベルは悔しくて、涙を流しました。

二人は、街の外れの寂しい道を、並んで歩いていました。
アベルは、先程の悔しい思いが、忘れられず、責める様に言いました。
アベル「強盗にいいことをして、それが世界にとって、何のいい事だって言うんですか!」
エリヤは、余程体に応えた様で、少し覚束ない足取りでした。
エリヤ「それを説明できるとすれば、それは天国にいる、イエス殿、ただお一人じゃろう…。わしの心には、勘として訪れるだけじゃ。そうした方がよい、とな。 」
アベルは、少しも納得出来ませんでした。
アベルギリシャでは、悪を制するのに、力をもってそれを為すのは、少しも恥ずかしいことでは、ありません!むしろ誉れとして、称えられるでしょう。それを禁じて、悪をのさばらせるのは、キリスト様の教えですか?それが善い事だって、そう言いたいんですか!?」
エリヤは痛そうに、頬をさすりながら、言いました。
エリヤ「わしは善など、勧めておらんよ…。アベル、わしはな…、その時その時で、ただ自分の気分に合うように、事を決めているだけじゃ。パンに挟むのは、ソーセージかハムか?それと同じ事よ…。」
アベルは返事をせず、二人は黙って、歩き続けました。
しかし歩き続けたって、どこにも行く当てなんて、無かったのです。
二人は何も、お金だって持っていなかったのですから。
アベルは、重い口を開きました。
アベル「エリヤ様。今夜の宿は、どうなさるおつもりなんですか?」
エリヤは、呑気に答えました。
エリヤ「どこか、人のいい主人のいる宿に、頼み込んで泊めてもらうとしよう…。」
アベルは、露骨に嫌な顔をしました。
アベル「物乞いを、しろって言うんですか!」
エリヤは、少しも気にならない様でした。
エリヤ「まあ、有り体に言えば、そういう事じゃな…。安心しなさい。渡る世間に鬼はない、そう言うじゃろう…。どこか一軒くらい、そんな風変わりな宿も、きっとあるじゃろうて。」
アベルは、不満でした。

二人は、何軒のもの宿に、頼み込みました。
しかし、素性もわからないお客を、無料で泊まらせる、そんな都合のいい宿は、ありませんでした。
そして、もう何軒目だか、分からなくなった頃、古ぼけたみすぼらしい宿に、辿り着きました。
アベル「もう、この辺にある宿は、ここで最後ですよ…。どうするんですか、ここで断られたら。後は野宿するしか、ありません!テントも、寝袋もないっていうのに。」
エリヤは、平然と言いました。
エリヤ「それも、よかろう…。幸い、今は寒い季節じゃないからのう。ご覧、アベル。今夜は、星が一段と輝いておる。こういう晩の野宿は、何とも言えんものじゃ…。」
アベルは、神にすがるとは、こういう気持ちか、と納得しました。