遥かなる旅 11

イザヤは、語り始めました。

イザヤ「私は、あの山に登った。そして、星々と語らった…。そして、悟ったのだ。人間の本質とは、苦しみと悲しみ、それしかないとな。」
エリヤは、頷きました。
エリヤ「確かにそれらは、人間が他者と関わる上で、重要な感情じゃ…。」
イザヤは、嘲笑いました。
イザヤ「それだ!その考えが、低俗なのだ。私が、あの山に登って学んだ事のうちで、最も重要な事は、苦しみと悲しみは、感情からやって来る訳では、ないということだ…。」
エリヤは素直に、質問を投げかけました。
エリヤ「それは、どういうことじゃ?」
イザヤは、気持ちが昂ぶるのが、抑えられない様子でした。
イザヤ「理性だ!それは、理性からやって来る!人間の、こうありたいという理想。こうあらなければならないという、理念。そうした人間が高く掲げた諸々と、食い違う卑俗な自分自身という現実が、人々の心にそうした物を、呼び起こすのだ!」
エリヤは、反論しました。
エリヤ「しかし、心に呼び起こされるのなら、それは気持ち…。即ち、感情じゃろう?」
イザヤは、鼻で笑いました。
イザヤ「感情など、言葉によって形を与えられた不純なエネルギーに、過ぎん。あまりにも表面的で、小便臭い。それに、個性という面白みが、ないからな。だが、それについては、今議論する気はない…。お前は、理性がどこから来るのか、心とは何か、知らんだろう?それは、星々の頂きにたどり着いた時、自分で確かめれば良い…。ところで、エリヤよ。お前、言葉は見えるか?」
アベルは、カッとなって言いました。
アベル「馬鹿にしてるんですか!?字ぐらい、読めるに決まってるじゃないですか!」
イザヤは、露骨に嫌な顔をしました。
そして、エリヤはアベルを、制しました。
エリヤ「アベル、イザヤの言葉を、よく聞くんじゃ…。イザヤはな、字が読めるか、と聞いたんじゃない。言葉そのものが、目に映るか、と問うたんじゃ。そしてもちろん、そんな事はわしには出来ん…。」
イザヤは、アベルを相手にせず、続けました。
イザヤ「私には、見える。私は、言葉を耳から聞くだけでなく、言葉もまた、ある種のエネルギーとして、見る。私の目には、普通の人間の目には映らないものが、映るのだ。汚れた精と汚れた胎によって、生まれ育った力ある幼子が自ら生き抜こうとする時、その瞳に映る…。そしてそのエネルギーは、神聖にして不可侵だ。」
エリヤは、興味深そうに尋ねました。
エリヤ「それは、どういう事じゃろう…。もう少し、詳しく教えてくれんか。」
イザヤは、いい気分でした。
イザヤ「いいだろう。私の目に映る、言葉は様々な色で、様々な形をしている。時に波のようだったり、時に逆巻く炎のようだったり…。これを俗物どもは、霊視などと呼ぶが、とんだ愚か者だ!霊とは、所詮理性ではないか。言葉は、霊よりももっと高位の、神そのものなのだからな。言葉は、理性を超えているのだ。」
エリヤは、黙りました。
話の続きを、もう少し聞きたかったからです。
イザヤ「私は、言葉を造る時、このエネルギーをある形を為す様に、導くのだ。つまり、建物を設計する様に、構築する。そして、適切に構築された言葉によって、ある種の感情が、想起される。私にとっては、奇跡とはそれだ。それによってのみ、世界は調和される。言葉を語るという事は、神に仕えるという事だ。」
エリヤは、言いました。
エリヤ「もしかすると、それが天国を去った事と、何か関係があるのかな?」
イザヤは、すかさず答えました。
イザヤ「そうだ!私は、その言葉の世界で、様々な神を見たのだ。それは、多様性に満ちている…。神が一つだなどと、バカしか信じない、おとぎ話だよ。世界は一つだが、神は一つではない。当たり前では、ないか!」
エリヤは、唸りました。
エリヤ「確かに、お前さんの言う事は、一理ある。世界には、様々な神がいて、その神の元で、様々な文化が育まれている…。」
アベルは、言ってもいいのか、思案しながら、言いました。
アベル「ぼくの父は、ギリシャの神パーンです。母は人間ですけど…。だから、ぼくは半神です。」
イザヤは、またしても気に入らなそうに、言いました。
イザヤ「そんな事は、どうでもいい…。一神教多神教の違いを、論じている訳では、ない。私が言っているのは、語られた言葉の数だけ、そこに神がいる、という事だ。悪魔だって、言葉を吐く。悪魔にとっての神とは、全てを滅びへ誘う者マルド・グムと、それを祀る抗いし巫女エレナ…。」
イザヤはそれでも、落ち着いた様でした。

イザヤ「私の言う神の姿が、あの山に登れば、よくわかるのだ…。理性とは、言葉に従う従僕の様なもの。そして、苦しみと悲しみだけが、人を真実に導く。それが、私の見つけた神の教えだ。行け、エリヤ!何が尊いのか、何が偉大なのか、それを確かめてこい!そうだ、いい物を貸してやろう。」

イザヤは、オラワンに目で合図し、オラワンはすぐに物置に走りました。

そして、古ぼけたカンテラを携えて、戻って来ました。

オラワン「イザヤ様、お持ちしましたズラ!」
イザヤは礼も言わず、続けました。
イザヤ「これは、月明かりのカンテラと言ってな、北欧のドワーフ達が、作ったものだ。これがあれば、何も見えない悲しみの山で、星々の頂きへと至る、一本道がお前達にも、感じられるようになる。持っていけ、餞別だ。」
エリヤは、ありがたく受け取りました。
エリヤ「ふむ、助かるのう…。このお礼は、どうすればいいかな?」
イザヤは、尊大な態度で言いました。
イザヤ「何もいらん。ただ、帰りにここへ立ち寄って、何を見たか話せ。今、世界に存在してる者で、あの山に登った者は、私しかいない…。キリストは、登ったそうだが、何も語らん。つまらん男だ。」
アベルも、お礼を言いました。
アベル「ありがとうございます。あなたの考えは、今は理解できなかったけれど、あなたの信仰や、哲学に触れる事が出来たのは、ぼくの一生の財産になると思います。」
イザヤの顔が、一瞬ほんの僅か、緩んだ気がしました。
でも、それはアベルの気のせいだったのかも、知れません。
イザヤ「悲しみの山は、厳しいぞ。若造、覚悟しろ。」
 
二人は、再びオラワンに案内され、迷いの森を抜けました。
エリヤは、アベルに静かな口調で、語りかけました。
エリヤ「アベル…。イザヤの事は、悪く思うな。ああした出自を持つ者は、皆自分を傷付ける。よく言えば、見栄が無いのじゃが、イザヤは結局、自分を傷付けておるのじゃよ。激しい、言葉によってな。」
アベルは頷き、そしてオラワンに言いました。
アベル「ぼくが、初めて君を見たときに感じた気持ちが、何故だったのか、今なら分かる気がする…。君もぼくも、偉大な先生を持っている。そして二人とも、自分の先生が一番正しいと、そう確信しているんだ!」
オラワンは、心から嬉しそうに、言いました。
オラワン「そうズラ!一等賢いのは、イザヤ様に間違いないズラ。エリヤ様より、キリスト様より、もっと偉いズラよ!」
アベルも、微笑んで言いました。
アベル「ぼくらが、悲しみの山を登る事で、そうじゃないってことを、証明してみせるさ!待ってろよ、オラワン!」
エリヤは、髭を捻くりながら、言いました。
エリヤ「お前達は、とんだ馬鹿者じゃ。他人を尊ぶのもいいが、最後は自分を尊ばなければいかん。わしもイザヤも、お前たちの代わりに、考えてやる事は、出来んのだからな!」
三人の顔に、自然と笑顔が浮かびました。
そしてアベルは、天にある天国だけが、天国ではない、と本当に考えておりました。