聖書・ルカ伝 2

ノンは、その晩夢を見ました。

ノンは、花畑の真ん中に立っていて、空には月が出ていました。
ノン「あー、気持ちいい!なんて、いい気分なんだ。お月様、こんばんは。」
ノンが、月にご挨拶すると、突然花達が、一斉に歌い出しました。
花達は、こう歌っていました。
我らの求めし物どもは、月の明かりと、夜の闇に。
不安と孤独の間にあって、陶酔へと至る一本の道。
それは夜の女神の、厳かな祝福。
人は解き放たれよ、陽の光から。
ユーモアとエロス、そしてカタルシスの名の元に、人は深遠に思い至る。
ノンは嬉しくなって、歌いながら駆けていきました。
ノンがどれだけ走っても、花畑は続いていました。
ノンは、笑いました。
すると、向こうにピアノが見えました。
ノンが近付くと、ピアノを弾いているのは、マサクでした。
花達は、マサクのピアノに合わせて、歌っているのでした。
マサクは、ピアノを弾くのを止め、ノンにこう言いました。
マサク「ご覧、ノン…。自分の姿を。君は今オオカミではなく、どこにでもいる普通の女の子じゃないか。」
ノンは、目を覚ましました。
ノンは、顔を洗う為に、近くの泉に行きました。
そこに自分の姿を映すと、やっぱり元のままの、オオカミの姿でした。
ノン「何だい、あのマサクってのは!人の夢にまで出てきて、図々しい…。」
ノンは、昨日盗んでおいたパンを食べると、早速村へ向かって、出発しました。
ノン「今日こそは、あのマサクの宝物をあたしの物にしてやる!あいつは、あたしをバカにしてる…。でも、そうはさせないんだ!あたしは、恐ろしいんだから。」
ノンが、マサクの家まで来ると、もうピアノの音色が、聴こえて来ました。
ノンは、何だかもっと聴いていたいような気がしました。
ノン「まあ、いいさ。宝物を盗むのは、いつだって出来るじゃないか…。今だけ。そうさ、今だけさ!今だけは、楽しませてやる。そうしたらあいつの音楽は、あたしの物にするんだから…。」
ノンは一日中、マサクの家の壁にもたれかかって、マサクのピアノを聴いていました。
ノンは、口ではあれこれ言いながらも、結局は次の日もそうしました。
次の日も、その次の日も。
そうしていつしか、ノンは毎日、マサクのピアノを聴く様になっていました。
悲しい曲も、ありました。
楽しい曲も、ありました。
憂鬱な曲も、晴れやかな曲も。
マサクのピアノを聴いているうちに、ノンはこれが自分の宝物なんじゃないか、と思う様になりました。
しかし、ノンは歯を食いしばって、それだけは絶対認めませんでした。
それでもノンの心は、日々少しずつ、変わっていったのです。
そんなある日、マサクの家から帰る途中、お母さんに連れられて歩く、ペルの姿を見かけました。
ペルは笑顔で、飴を舐めていました。
すると、どうでしょう。
突然ノンの心に、何か声を掛けたい、と思いが湧きました、
そして随分迷いましたが、とうとう思い切って、あいさつしたのです。
ノン「こんちは。」
ペルは悲鳴をあげて、お母さんの陰に隠れました。
ペルのお母さんは、ノンに向かって、キッパリと言いました。
お母さん「あなたね、オオカミのノンってのは!ウチのペルに乱暴をして、力尽くで、お人形取り上げて。私はね、お人形を返してなんて言いません。でもね、今すぐ私達の前から、消え失せてちょうだい!崇高なる、神様の名の下に。」
ノンは、走って逃げました。
そして、根城に帰ってから、大声で泣きました。
ノンの心に、生まれて初めて寂しさが、訪れたのでした。
次の日、やはりノンは、マサクのピアノを聴いていました。
空はよく晴れていて、雲一つありません。
その明るい陽射しが、ノンの心を締め付けました。
ノンは、自分で気が付いた時には、マサクの部屋の窓を叩いていました。
マサクは、快く開けてくれました。
マサク「こんにちは。どうするの、何か盗んでく?」
ノンは、夢中で言いました。
ノン「マサク、あたしと友達になって…。」
マサクは、笑顔で言いました。
マサク「いいよ。でも、条件があるんだ。」
ノンは、不安になりました。
ノン「条件…?」
マサクは、ニコニコしながら、言いました。
マサク「ぼくは、君だけじゃなくて、皆と友達になりたい。でも、家から出られないんだ…。だからさ、代わりに君が、皆と友達になって、ぼくの家に皆を連れてきてよ。そしたら、君ともみんなとも、友達になる!」
ノンは、すぐ根城に帰って、今まで取り上げた宝物を、一つ一つ謝りながら、みんなに返していきました。
村の大人も子供も、はじめはノンの事を疑りましたが、みんな心根のいい人達だったので、最後は笑顔で許してくれました。
そしてノンは、大人も子供もみんなを連れて、マサクの家を訪れました。
マサクは、もう大喜びでした。
マサク「こんなに連れてきちゃあ、ウチに入りきれないよ…。よし、わかった。お母さん、物置に椅子があったよね?あれを庭に並べて…。」
マサクのお父さんは、大人にお酒を。
お母さんは、子供達に手作りのクッキーとジュースを。
そして、マサクは大人も子供も全員に、素晴らしい音楽を、振る舞いました。
みんな、心から満足しました。
しかし楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまいます。
お開きの時間になって、みんなそれぞれの家に、帰って行きました。
最後まで、片付けを手伝っていたノンも、根城に帰ろうとしました。
そのノンを、マサクのお父さんとお母さんが、呼び止めました。
お父さんは、落ち着いた口調で、言いました。
お父さん「ノンさん、君にはお父さんもお母さんもいないと聞いたが、本当かね?」
ノンは、恥ずかしそうに言いました。
ノン「はい…。」
お父さんは、驚きました。
お父さん「どんな事情があるのか知らんが、そんな事は許されるもんじゃない…。こんなに小さな女の子を、一人にするなんて。」
ノンは、胸を張って言いました。
ノン「心配いりません。あたしは、これまでだって、一人でやってきたんだし、これからだって…。」
お母さんが、優しく言いました。
お母さん「それでね、私達から提案なんだけど、もしノンさんさえ良かったら、私達と一緒に住んでみない?マサクも、いつも一人で寂しい思いをしているし、遊び相手になってやって欲しいのよ…。」
ノンは、うつむいて言いました。
ノン「でも、そんな…。」
お母さんは、元気に言いました。
お母さん「でも、本当はね、私があなたの事、好きになっちゃったの!私は、あなたみたいな、元気な子が好きよ。跳ねっ返りで聞かん坊で…。マサクは、いい子すぎるわ。もっと、私達を困らせてくれなきゃ、育て甲斐がないっていうもの!ねぇ、あなた。」
お父さんも、笑って言いました。
お父さん「うんうん、その通りだ。大体私は、女の子が欲しかったんだ…。いつかは、お嫁に行ってしまうとしてもね。それまでの日々を…。」
お母さんは、たしなめました。
お母さん「あなた、ちょっと気が早すぎるわ。こんなに小さいのに、もうそんな先の話をしているの…。」
マサクも、本当に嬉しそうでした。
ノンの体から、尻尾が、耳が、スルスルと抜け落ちて行きました。
 
ルカは本を置くと、こう呟きました。
ルカ「確かに、ヨハネの言いたい事は、わかる。この作品はテーマとして、人間の宝物とは、決して物質的な物ではなく、精神的な、いわば心にこそあるのだ、そう言いたいんだろう。それは、全く正しい。」
ルカはオランジーナを肘で倒し、オオカミの宝物はオレンジ色に染まりましたが、ルカは気が付きませんでした。
ルカ「しかしこの物語は、あまりに主観的で、情緒に流れすぎている。記述とは、常に客観的でなければならない!主観を排し、事実だけを積み上げていく…。そこに真実が、浮かび上がってくるのだ!」
ルカの肘をオランジーナが濡らし、ルカはようやくテーブル上が、びしょびしょな事に気が付きました。