Black Swan -overload- 5

ハウシンカは、夢を見ている。
あの日、転送機の試運転を行った時、先ず自分が乗った。
その時に見えたビジョンが、繰り返し夢となって現れる。
夜、どこかの土手沿いを青年が歩いている。
青年は右手で大きな杭を肩に担ぎ、左手は胸の辺りで光り輝く「何か」を抱いている。
杭は木で出来ていて、それ程重そうには見えない。
それでもよろめいたりつまづいたりしているのは、疲れているせいなのだろう。
格好はカジュアルだ。
白いTシャツに、ジーンズ。
赤と白と紺のチエックのシャツを、上に羽織っていた。
青年は、胸に抱く「何か」に時折話しかけていた。
道は、どこまでも続いている。
誰もいない。
果たしてこの青年が、どこから来たのか?それすらもよくわからない。
ハウシンカの脳裏を、-永遠-という言葉が掠めた。
やがて、夜が明け空が白んでくる。
少し開けた所に辿り着くと、青年は手が地面を掘り、杭を埋め込んだ。
青年は手で汗を拭うと、空を舞っている「何か」に穏やかに語りかけた。
「これでいいんだ。これでいい…。ロムス、やはり天の父は間違っていたよ。これで、全ての人は救われるじゃないか!誰も、地獄になんて堕ちるべきじゃない。誰もそんなこと、望んじゃいないんだから…。」
ロムスと呼ばれた、光り輝く「何か」は、必死に青年に何かを訴えていた。
その言葉は、ハウシンカは知らない言語だ。
しかし、その憔悴は伝わってくる。
青年は道の上に力なく横たわり、達成と安堵に浸っていた。
ロムスはその上を必死に羽ばたき、訴え続ける。
青年は、ポツリと漏らした。
「大丈夫、大丈夫だから…。信じるんだ。」
その言葉は、ハウシンカの胸の奥に潤いをもたらした。
優しさと強さの入り混じった、不思議な響きだ。
やがて青年は立ち上がり、元来た道を引き返し始める。
同じ様に、ロムスを抱いて。
その瞬間、空気が冷たく引き締まった。
青年が上空を見上げると、天が裂け忌まわしいビジョンが映り込んでいる。
どこかの城の地下室で、女性の罪人がギロチンにかけられている。
すぐ側に立っているのは、刑使だろうか?
マスクをしていて、表情はわからない。
罪人がニヤリと邪悪な笑みを浮かべると、刑は執行され首は地面に転がった。
青年はそれを見て慄え、声を失った。
バキン、と音がした。
存在そのものが脅かされる様な、不安で歪な音…。
青年は、音のする方を振り返った。
「何て、バカなことを…。自分達のしていることが、本当にわかっているのか?」
音は、空の彼方からした。
パキ、パキ、と続いている。
ロムスが強く輝き、叫びを上げた。
その声は、ハウシンカの頭の中に映った。
「-overload-!世界の割れる音。」
地面に転がって血に塗れた女性の首は、青年の方を向き熱く見詰める。
そして怨みがましそうに、呪った。
「あなたは良太?それとも、アウラアム?どちらでもいいわ、そんなこと。あなたはこれまでずっと、人間としての愚かさを捨てて、そこから遠ざかって来た。それがあなたを神のレベルの叡智にまで、押し上げたのは本当よ。でもね、教えてあげる。人間は、愚かなの。そして、今のあなたにはその愚かさが理解出来ない。だから、救えないのよ。あなたは、愚かではないのかも知れない。でも、それが一番愚かなことなの!!」
世界は揺れ始めている。
まるで、パズルのピースを振り落とす様に。
良太はすぐに悟った。
自分の頭に新たな閃きが訪れるより早く、世界は崩れるだろうと。
世界は「無」にも戻れない。
全ては、塵芥になってしまう。
人間が宇宙と呼ぶ、何もないスペースに変わってしまうだろう。
良太は、涙を流した。
「つぐみ、済まない…。ぼくには、何も出来なかった。」
ロムスの輝きも、小さく弱く変わってしまっている。
良太は胸に抱くロムスに、優しく語りかけた。
「ロムス、ぼくの胸には場所が空けてある。そこに、お入り。そしてぼく達は、一つになるんだ。君は、ぼくの愛した女性じゃない。そのことを、済まないと思う。だけどそこから、世界をまた一から造っていこう。」
ハウシンカは、目を覚ました。
彼女は歴史を、知識として蓄えている。
良太は、ラルゴだ。
この時、世界は滅びかけた。
しかし、心ある人々、救われた人々はこの時に自分達の運命に立ち向かい、それを変え、新しい世界はやってきた。
良太、と呼ばれる青年の言葉から覗く、-永遠-は彼女を脅かした。
ハウシンカは、時計を見た。
「まだ、三時か…。」
もう、眠れない。
転送機に乗ってから、ずっとこんな生活が続いている。
ハウシンカは認めなかったが、ゼクの言葉は胸に残っている。
彼女も、この転送機が本当に人々を幸せにするのか、疑問を持っていた。
自分は、触れてはいけない「何か」に触れている…。
そんな実感が、日々ムクムクと育っていた。