Black Swan -overload- 29

ゼク発案の待ち伏せ作戦の決行から、三日目の夜。

「隊長、見て下さい!影の国の軍勢が、山道を登って来る…。なかなかの数だ。」
騎士の一人が、山道を埋め尽くす松明を見つけた。
「よ〜し、お前はそのまま後方のルカーシ殿とゼクさんに伝えて来るんだ。総員戦闘準備!充分に引きつけるぞ。それと、引き際を見誤るな!」
中隊長率いる十人の騎士は、馬から降りて山道の両側に隠れて潜んだ。
影の国の軍勢が徐々に近づいて来る。
騎士達は、剣を握り締め息を潜めた。
黒き騎士が、目の前を通り過ぎる…。
その数…七、八、九、十。
中隊長は、大声で指示を下した。
「今だ、矢を放て!突撃せよ!」
カトラナズの騎士達は、一斉に矢を放つ。
四騎の黒き騎士が、落馬し地に落ちた。
矢を放った者から、突撃する。
先ずは、落馬した者からだ。
地に伏せっている四騎は、あっという間に止めを刺される。
中隊長は馬上の黒き騎士を、下から剣で貫いた。
暗闇に剣の照り返しが煌めく。
だが、それはほとんどカトラナズの物だ。
一人、味方の騎士が斃れた。
しかし黒き騎士は、十騎は討ったろう。
黒き騎士達の後方から、猛然と巨大な騎士が突っ込んでくる。
狗香炉だ!
中隊長は、すぐ撤退の指示を出した。
「退け、撤退しろ!みんな急げ!」
騎士達は、隠してあった馬に次々と乗り込んでいく。
一人遅れている若い騎士がいた。
その向こうには、狗香炉が迫っている。
恐らく間に合わないだろう。
仕方ないな…。
中隊長は覚悟を決めた。
共に撤退の時間稼ぎをしている副長の、尻をポンと軽く叩く。
「後の指揮は、お前が執れ…。任せたぞ!」
「ちょっと、何言ってるんですか!」
中隊長は馬に乗ると、狗香炉の前に立ちはだかる。
「お前の相手は、俺がするぞ!!」
狗香炉の矛を、一度盾で受けた。
二度目で、盾を弾かれる。
三度目は胸を突かれた。
その間に残っていたカトラナズの騎士は、全て撤退した。
時間は、少しさかのぼる。
同じ日の日中、ザハイム研究所発掘現場の記録室で、ミミカは先日の記録を再生していた。
周りには、ハウシンカと映像の解析を担当している二人の研究員がいる。
映像は大空に地下室のビジョンが映り、世界の崩壊が始まるところだ。
刑吏によって刑が執行され、女性の罪人の首が切り落とされる。
バキン!
あの音が響き渡った。
「止めて。」
ハウシンカは言った。
「この音…。この音で、本当に世界が割れると思う?」
映像解析担当の研究員に、ハウシンカは尋ねた。
「伝説を考慮しますと、この時、世界のバランスは完全だそうです。永遠という時間の流れの中にあって…。」
もう一人が口を開いた。
「音だけでは判断出来ませんが、すごい音ですよね。音の大きさではなく…、心が割れてしまう様な、そんな音に私には聞こえます。」
ハウシンカは、ロムスの言葉を繰り返す。
「overload…。大きな負荷が掛かれば、世界ですら崩壊する。そういうことなのかしら?」
ミミカは、口を挟む。
「世界は崩壊していませんが、このラルゴさん…。良太さんでしたっけ、の存在は崩壊からの再生を繰り返していた、という伝説がありますね…。」
ハウシンカは、考えながら話した。
「もしそれならば、世界全体が崩壊しても再生する可能性はないのかしら?」
ミミカは、話を変えた。
「ところで、この空に映ったビジョン。これは、ラルゴさんの観ているビジョンなんですが…、変なんです。この刑吏、これはどうやら…。」
研究員が、先を続けた。
「この刑吏としてラルゴが理解している人物はパルツィバルであり、罪ある女性とされているのは御堂咲香です。」
もう一人の研究員が、見解を述べる。
「これは、ありえないことです。パルツィバルは、ラルゴ、良太自身の前世ですし、ラルゴと御堂咲香の間には、確かに争いがありました。しかしこの時点では、御堂咲香とラルゴは既に友人関係を結んでいるはずです。」
ハウシンカは、あまりよく飲み込めない様だった。
「どういうことかしら…。このビジョンは、間違っている。そう言いたいの?」
ミミカは、説明した。
「この映像が証明しているのは、英雄ラルゴは必ずしも全てを見通している全能の存在ではなかった、ということでしょう。…彼は、一人の人間だった。」
ハウシンカは、胸を衝かれた。
「ラルゴは至聖三者を造り、新たな世界、このカトラナズの国をもたらした英雄でしょう?それが…。」
ミミカはある喜びと共に、結論を下した。
「彼は、普通の人間だったんです。どこにでもいる、何でもない男…。それが、世界を救ったんです。すごいことですよね?」
ハウシンカは、納得出来ない。
しかしあの吐き気の意味が、何となく理解できる気はした。