スチャダラパーのど〜でもゆいLyricについて

スチャダラパーの音楽に初めて本格的に触れる、ちょっと手前の時期…。

ぼくは…、精神的にものすご〜くピンチだったワケ。

…ぼくの作風である、「自分で察してくれ」に対し。

低俗な大衆心理が押し寄せて来て、…「このままだと流されてしまう」そんな感じだった。

そんな時、曲名は忘れちゃったんだけれど…。

Aniさんが…、「俺は蛇足が好きなんだ。蛇に足だけじゃなくて角やたてがみすら付け加える。それが面白いんだよ」って歌った時。

…ぼくの発想は決定的に変わった、それは一度死んでから生まれ変わるよ〜に。

「あぁ…、ど〜でもゆいコトこそ大切なのか」と!

それまで、ぼくの頭の中では「無駄はあってはいけない」と…。

頑なに思い込んでたんだよね、…だから余計なモノを省略して。

…必要最低限で「詩」を書こうと、スチャダラパーはそんなぼくの。

全く反対側に突き抜けてゆた…、まずLyricがトンデモど〜でもゆい。

下らない単なる思いつきみたいな内容を、アイディアとしてキチンと大切にし…。

Trackも、…パッと聴いた感じどこかグダグダ。

…つまり、「スチャダラパーは余計を大事にしてるんだ!!!」ってわかったの。

その時…、ぼくの脳はそれまでとは全然違う違う方向に回転を始める。

始めた直後、ミスを連発して周りの親しい人々に…。

ご迷惑をおかけしたけれど、…現在は軌道に乗ったと想う。

…「余計こそ詩である」、そして「詩こそ自由である」

ぼくの文章がまずいから…、語り尽くせないケド。

スチャダラパーはぼくにとって衝撃だった、そのコトへの感謝とリスペクトを込めて…。

駄文を失礼しました、…スチャダラパー大好きです!!!

…「ど〜でもゆい」にわざわざ付き合う、それこそ日本人らしい大和魂だろうとも想ってますよ。

「"愛"の反対は無関心である」とは…、マザー・テレサのお言葉で。

無関心とはまさに「ど〜でもい〜」、そ〜想いませんかみなさん…?

それでは今日の一言、…「我が(家へ)通そう」!!!