俳句の巨人・小林一茶さんの俳句を意訳してみるく?

・このページでは、ぼくが「史上最も偉大な芸術家は小林一茶さんである」、尊敬してやまない氏のちょいわかりづらい俳句を、みなさんにわかりやすいよう現代語に意訳出来ないかなぁ?と試してみるコトにしました。一茶さんの元の句とぼくの意訳を比較してもらえば、ぼくの文章力では一茶さんの筆致に、スケールの点でとても比較にならないのを、わかっていただけるかと存じます♪

 

・元の句

 「蟻の道雲の峰よりつづきけむ」

・意訳

 この小さなアリさんの行列は、夏の空に湧く入道雲まで、果てしなく続いているのだろうか。

 

・元の句

 「心からしなのの雪に降られたり」

・意訳

 故郷、信濃(長野県)に帰って来たが、この雪は私の心にまで、しんしんと降り積もっている。

 

・元の句

「我星はどこに旅寝か天の川」

・意訳

 私の住む星、地球は、今日も天の川のどの辺りを彷徨っているのだろうか?

 

・元の句

 「名月をとつてくれろと泣く子哉」

・意訳

 幼い子供が、お母さんに背負われて泣きじゃくっている。夜空に浮かぶ、美しい名月を手に取りたがっているのだ。

 

・元の句

「亡き母や海見る度に見る度に」

・意訳

 海を見る、その度に繰り返し、亡くなったお母さんのコトが懐かしく思い出されてならない。いつか私も、お母さんの元に召されるだろう。

 

・元の句

「雪とけて村一ぱいの子供かな」

・意訳

 この雪国信濃にも、春が来た。積もっていた雪も徐々に解け出し、村中の子供達が「待ってました」とばかりに、飛び出して来てあふれている。

 

・元の句

「父ありて明ぼの見たし青田原」

・意訳

 こうして昇る朝陽の元に広がった、気持ちのよい田園風景を眺めていると、父が健在であり共に眺められたら、と残念でならない。

 

・元の句

「やれ打つな蝿が手をすり足をする」

・意訳

 「どうか私のコトを打たないで下さい」、そう手をすり足をすって懇願する、ハエさんの姿は何とも哀れで痛ましい。

 

・元の句

「行く年や空の青さに守谷まで」

・意訳

 歳末も差し迫って何かと忙しい日々だが、この空の青さの下、一つ守谷(茨城県守屋市)まで歩いて出かけるか。

 

・元の句

「しづかさや湖水の底の雲のみね」

・意訳

 入道雲がまるで湖の底に沈むように、水面に映っている。その姿の、何と静謐なるコトよ。

 

・元の句

「小便の身ぶるひ笑へきりきりす」

・意訳

 旅の途中で用を足していると、何とすぐそこにキリギリスさんが見えるではないか。まぁ私の身震いでも、笑われたらいい。

 

 内容的に童謡のコーナーでご紹介してもいいんですが、一応俳句なのでここで。ぼくの俳句です!

「夕焼けに今日の夕はん何だろな?」

「えびフライしっぽも食べちゃう海の家」

「すすきの穂よしとの区別がつかないよ」

「野球帽被って買い物桜の葉」

 

・「ドラえもん大長編観に映画館」 
              マッチ坊や
              
 今年もそろそろ、十一月だ。健二くんはお兄さんから借りる、コロコロ・コミックを楽しみに開いた。やってるやってる、ドラえもんの大長編だ。藤子・F・不二雄先生の描かれる「ドラえもん」は、毎年今ぐらいの季節から、数回に渡ってえがかれる大長編の連載が始まるのだ。
「へぇ〜、今年は『のび太とアニマル惑星』か」
 夢中で読み漁る、健二くん。第一話を読み進めると、何とも続きが気になるトコロで終わってしまう。ワクワクする心を抑えながら、健二くんは宿題の漢字の書き取りを始めた。。
「お金をひろう、う〜んひろうってどんな字だったかな?」
 漢字ドリルを開いても、心はドラえもんの虜だ。これからのび太ドラえもんがどんな冒険をするのか、気になってたまらない。
 十二月になれば、次のコロコロ・コミックが発売され、また少しお話が展開される。そ次の月は、またもう少し。そんなお楽しみが三月ぐらいまで続き、その頃になると何と長編アニメとして、映画館で上映されるのだ。
「お父さん、ぼくドラえもんの映画観たいよ」
 読んでる新聞から目を離して、お父さんはお母さんを呼ぶ
「お母さん、確か新聞屋さんからもらった、映画のチケットがあったろう」
 台所で洗い物をしながら、お母さんは「ええ、4枚あるわ」と返事をした。
「子供にとっては、毎年の風物詩みたいなモノだからな」
 とお父さんは、健二くんの頭をさする。

 

仏教の本質とは何か?

 まず初めに結論から申しますと、仏教の本質とは「共苦」にあります。多くの方にとっては、あまり耳慣れない言葉かも知れません。意味としては字面そのままで、共に苦しむコト。言い方を少し変えて、「苦しみを共にする」と云う方が伝わるかも知れません。
 より、具体的にご説明致しましょう。例えば、ある日あなたがスーパー・マーケットに出かけたとしましょう。買い物カゴを下げて店内を回り、レジに向かいます。ところがレジの前には、ズラッと人が並び長蛇の列が出来ている。まぁイライラしますよね、それが人情と云うモノです。でもそこをちょっと待っていただきたいのが、仏教の本質である「共苦」なんです。少し気を落ち着けて、レジ打ちをなさってる方を、観察してみてあげて下さい。多分焦ってます、恐らく必死でレジ打ちをこなしてるのではありませんか?それは、そのハズです。レジ打ちのお仕事に従事していれば、お待たせしているお客さんがどれだけイライラしているかは、百も承知です。そして自分がモタモタすれば、それだけ仲間に負担がかかるのですから。だから、レジ打ってる方は一生懸命なのですね。
 「それなら、レジ打ちの人数を増やせばいいじゃないか」、そう思われる方もいらっしゃるでしょう。ところがそこにも、お店の事情があるんです。レジ打ちの方の人数を増やせば、それはそのまま人件費の高騰を招きます。ビジネスの基本ですが、経営する際に最もかかるコストは、結局人件費です。だから、そう簡単には働く人は増やせない。ぼくは、スーパー・マーケットでパートとして働いてますから、多少事情がわかるのですが、どこの小売店も決して余裕のある営業はしていません。
 つまり、あなたがレジで待たされるのは、全体の状況を鑑みれば仕方がないんです。「共苦」とは、レジで待たされてらっしゃるあなたが、レジを必死に打ってるレジ打ちさんの事情を汲む。そしてここからが、まさに「仏教の本質」なのですが、そのレジ打ちさんに「しょうがないな、お疲れさま」と心の中で想うコトなんですね。
 他にも例を挙げると、例えばあなたは若いサラリーマンで、奥さんと子供がいらっしゃる。一日会社で働いて、クタクタになって帰宅すると、お部屋がどうも片づいていない。これも、イライラしますよね。でも実は、そのコトを奥さんは重々承知なのではないでしょうか?奥さんはあなたが働いてる間、泣き喚く幼い子供を幼稚園に送り届けて迎えに行って、あなたの夕ごはんの支度もしながら、必死に家事をこなしているのです。
 逆の立場も、見てみましょう。奥さんにしてみると、「ウチのダンナと来たら、おやすみの日は寝てばっかり」。モチロン、イライラしますよね。しかしそれもちょっと待った、なのです。ダンナさんは、あなたとあなたと幼いお子さんを養う為に、毎日々々横柄な上司に威張られたり、顧客のワガママに振り回されているのです。
 ぼくは、全員とは申しません。しかし多くの方は、自分の置かれた状況や事情の限界に阻まれながら、一生懸命生きているのです。だからこそ、誰もがお互いの立場や事情を少しだけおもんばかり、口に出さなくても構いませんから、心の中でそっと「お疲れさま」とおもいやる。それこそが、苦しみを共にする仏教の本質なのですよ。
 お釈迦さまは悟りを開かれた時、「色即是空、空即是色」を口にされました。この意味については諸説あるかと存じますが、ぼくは決して性的な悦びを否定するモノではないんじゃないかと考えています。では、どう云う意味なのか?それは、「自分だけが気持ちよくなろうとするのは、意味がない」と云う意味だと想っています。これはぼくの考えなのですが、人間は自分一人だけで幸せになろうとしても、無理があるんですね。例えばこの世界が核戦争で滅び、たまたまあなただけが生き残った。これ、ラッキーだと思われますか?友達も恋人も、家族もいません。この世界に、あなた独りぼっちです。そして食べるモノ着るモノも、それから住んで寝るトコロも、全て自分で用意しなければならない。考えただけで、イヤになるでしょう。それだったら、みんなで役割分担する。「私お米作るから、あなたお家建ててよ」、「じゃあぼく魚釣ろうかな、その間にパン焼いといて」。みんなが協力するから、みんなが楽しく生きていけるんです。つまり、自分が幸せになるには、みんなが幸せである必要があるんですね。自分一人では、決して幸せにはなれません。みんなで一致団結して、初めてみんなで幸せになれる。それが「色即是空、空即是色」の本当の意味ではないでしょうか?
 では、他人の苦しみの為に何が出来るのか?こう言葉で思い浮かべると、プレッシャーで面倒臭くなるでしょう。ぼくは、こう云うコトは出来るコトからやればいい、と考えています。例えばあなたは若い男で、駅で階段を上ってホームを目指しています。フッと脇を眺めると、おばあちゃんが大きな荷物を抱えてふうふう言っていた。そしたら、ちょっと一声かける。「ばあちゃん、その荷物おれが持つよ」、あなたの体力なら楽勝なハズです。ところが、おばあちゃんにしてみたら大助かり!そのおばあちゃんは、きっと亡くなられるまで、あなたのお顔を忘れられなくなるでしょう。
 実は、もっとハードルは低くてもいいんです。ぼくが提案したい徳功は、もうなさってらっしゃる方もいるでしょうが、「行き合ったら、道を譲る」、これだけなんです。例えばあなたが会社に向かう通勤途中、歩いて駅を目指していると、一ヶ所道が狭くなっているトコロがある。そこに差しかかると、向こうからも人がやって来た。こんな時ちょっと待って、率先して道を譲ってみましょう。モチロン中には、道を譲られても知らん振りで通り過ぎていく人だっています。しかし大抵の方は、軽く会釈でもなさってから去っていかれるコトでしょう。そんな時、あなたの心に何が訪れるか、あなたはご存知ですか?実は、小さく満足出来るのです。「人間の本性は善に近い」とはある方のお言葉ですが、小さくてもいいコトすると、スカッっと気持ちがいいんですね。それはあなたの小さな功徳に、天にいます諸み仏が微笑まれるからなんですよ。ウソだと思われるなら、試してご覧なさい。
 こうして人は苦しみを分かち合いながら、お互いを慈しんで生きていく。それこそお釈迦さまのみ教えの本質だと、ぼくは考えています。「共苦」とは、他人の都合をちょっとだけおもんばかるコトなのです。

本当の愛国心とはなにか?

・このコラムは、ぼくの師事する辻野弥生先生が主催する、「ずいひつ流星の会」で発表する予定だったモノを、趣旨に合わないと自分で判断ししょうがないのでここに掲載させてもらいました。  

          

 昨年は、この合評会を主催されている辻野弥生先生が制作に協力された、映画「福田村事件」が公開されました。ぼくも久し振りに映画館に足を運び、ミニ・シアターの映画を愉しませていただき、辻野先生を始めとするスタッフのみなさんに感謝しています。感想については、いずれ別の機会にまとめるかも知れませんが、ここでは取り敢えずあまり触れません。ただぼくが気になったのは、こうした朝鮮人差別を取り扱った内容の映画が公開されれば、必ずや辻野先生はインターネット上で「反日である」、と非難されるコトでしょう。反日と云う言葉に、あまり馴染みのない方もいらっしゃるかもわかりませんが、反日とは戦前で言えば非国民に当る蔑称です。どんな作品を世に送り出しても、心ない批判は浴びるモノですが、それにしてもあまりにポイントがズレているので、ここで反論を試みたいと考えました。
 「愛国心」と一言口にされると、多くの方は戦前のように、「天皇陛下万歳」のような熱狂的な感情を連想されるかも知れません。先ず最初に、ぼくの考え方を述べておきましょう。「国家」の本質と「時の政府」は同じではない、と云うのがぼくの考え方です。
 一般に「愛国心」が語られる時は、大抵時の政府への忠誠心を指しているような気がします。「天皇陛下万歳」もそうではないでしょうか、天皇陛下は、日本国そのモノではありません。天皇陛下が戦前の日本でどんな存在であったか、ぼくは実感としてよく知りません。ただ戦前であれば政局にも関わり、宗教的な指導者でもあったようです。現在では日本国憲法により「象徴である」とされていますが、いずれにせよ日本そのモノではないのです。政府も同じではないでしょうか、政府は権力を保持していますが、やはり国家の主体ではありません。
 映画「福田村事件」でも、登場する在郷軍人会が何度となく「お国のため」と口にしますが、それは暗に天皇陛下や時の政府の為を示しています。失礼に当たるかもわかりませんが、ぼくはあくまで「天皇陛下万歳」は「愛天皇」であって「愛国」ではない、と考えています。
 ぼくは「愛国心」とは、究極的には「地元を愛する心」だと解釈しているのですね。ぼくは日本に住んでいます、だから「日本はいい国だよ」と語りたい。それはもっと規模を小さくすると、ぼくは野田市に住んでます。そうすると、「野田は古民家がたくさんあって街並みがいいんだ」とか、「美味しいラーメン屋さんがあるんだ」とか、やっぱり愛着を語ります。それが大きくなると、「日本には美味しいおそばがある」とか、「冬に浮かび上がる富士山はキレイだ」とかなんかになるんですよ。
 そう考えると、地域密着で東葛地方の文化・芸術発展の為にご尽力された山本鉱太郎先生は、本当に愛国的だとぼくは想いました。何故山本鉱太郎先生は、東葛地方の為にご尽力されたのか?それは山本先生ご自身が住まわれてるから、愛してらっしゃるのでしょう。ぼくはそれは「愛国心」と同じ心の作用だと想います、違うのは、適用される範囲の規模だけではないでしょうか? 
 では「愛国」は、日本のいいトコロだけを語るべきなのでしょうか?例えばこれを読んでらっしゃる方々の中には、お子さんを育てられたご経験のある方も多数いらっしゃるかと存じます。そんな方々は当然お子さんを愛してらっしゃると想いますが、果たしてお子さんを愛するとは、何でもかんでも褒めて好きなようにさせるコトでしょうか?そんなコト、ありませんよね。例えばお子さんが万引きでもなさったら、烈火の如くお怒りにならなければなりません。
 それならば、「日本を愛する」時も同じではありませんか?もし日本が過ちを犯したのならば、素直に認めてキチンと謝罪を為すべきだとぼくは考えます。日本国の過去の歴史の中に存在する数々の過ちと向き合い、これからの未来に向けて、何をしなければならないかみんなでよく話し合う、それが愛です。子供だって甘やかしてばかりではなく、キチンと間違いを正さなければならないのですから、ましてや天下国家ならば尚更のコトです。
 ぼくは、国家の主体とは民衆だと考えています。ですから、みなさんお一人お一人が日本国の本質そのモノなのです。政府とは、そんな国民が安心して暮らせるサービスを提供する一機関に過ぎません。政府のお役人がみなさんの為に尽力するのは、あくまで労働の一形態なのです。
 だから本当の愛国心とは、友達とか家族とか地域のつながりを大切にする、この辻野先生の合評会や「流山市立博物館共の会」にこそ備わっているモノではないでしょうか?最後にぼくは君が代でも軍歌でもなく、山本先生の愛して止まない、童謡「ふるさと」にこそ愛国心を感じます。

童謡作詞家マッチ坊やのコーナーです

・このページでは、ぼくが作詞してまだ誰もメロディーをつけてない、童謡をご紹介させていただきます。

 

「ぼくはお母さんカレーが大好きさ」

1.ぼくの母さん、お料理あんまりうまくない

 レシピの通りに作っても、おんなじ味にはならないよ

 だけどもカレーは美味しいさ、ぼくはお母さんカレーが大好きさ

 玉ねぎ豚肉しっかり炒めて、塩コショウもいい感じ

 お鍋でコトコト煮込んだら、夕ごはんが待ち切れない♪

 

2.ぼくの母さん、お料理そんなに好きじゃない

 お料理教室通っても、先生みたいに出来ないよ

 だけどもカレーは美味しいさ、ぼくはお母さんカレーが大好きさ

 にんじんじゃがいもゴロゴロさせて、火の通りもバッチリね

 母さん魔法をかけたなら、素敵なカレーの出来上がり♪

 

(補足)

 二番の歌詞の最後の「母さん魔法をかけたなら」と云うのは、大抵どこのお家のカレーでもそのお家ならではの隠し味、みたいなのがありますよね?それのコトを、歌っています。ストーリーとしては、主人公の男の子が朝学校行く前に、お母さんから「今夜はカレーよ」と告げられて、ウキウキして学校から歌いながら帰って来る、そんなイメージです。

 

「小学生ブルース」

1.お母さんと来たら、まったくうるさいよ

 宿題しなさい手伝いしなさい、そればっかり

 ぼくの気持ちを、ちっともわかってない

 ぼくは、ファミコンやりたいだけなのに

 ゲームは一時間までと言うけれど、友達のウチならわからない

 あぁ、誰か大人がわかってくれたらなぁ

 

2.先生と来たら、まったくやかまし

 勉強しなさい真面目にしなさい、そればっかり

 ぼくの気持ちを、すこっしもわかってない

 ぼくは、給食食べたいだけなのに

 おかわり二はいまでと言うけれど、お鍋にまだまだ残ってる

 あぁ、どの大人かわかってくれたらなぁ

 

「おしっこもれちゃう」

1.おしっこもれちゃう、おしっこもれちゃう

 水道管は、爆発寸前

 おしっこもれちゃう、おしっこもれちゃう

 おトイレ着くまで、待ったなし

 学校から帰る前、先生は言ったんだ

 「おトイレ済ませて、帰りましょうね」

 

2.おしっこもれちゃう、おしっこもれちゃう

 ぼくのポンプは、我慢の限界

 おしっこもれちゃう、おしっこもれちゃう

 今すぐおトイレ、駆け込みたい

 前の授業が終わったら、友達は言ったんだ

 「先生来る前、おトイレ行っとこ」

 

「カンけりするモノ、よっといで」

1.カンけりするモノ、よっといで

 はじめはじゃんけん、グーチョキパー

 鬼がとおまで数えたら、みんなはどこに隠れてる

 

2.カンけりするモノ、よっといで

 隠れたみんなはそのウチに、一人二人と見つかった

 鬼さんその度、カン踏んだ

 

3.カンけりするモノ、よっといで

 やがて夕暮れ、宵の口

 遊ぶみんなを待っている、夕ごはんの時間だよ

 

「どんつくね(夏のおまつり)」

1.どんどんつくね、どんつくね

 今夜はおまつり、ピーヒャララ

 どんどんつくね、どんつくね

 さぁさみんなで、おどりましょ

 街の広場に、みんなで集まり

 子供も大人も、楽しくおどる

 やぐらの上には、笛太鼓

 まつりの夜は、ふけていく

 

2.どんどんつくね、どんつくね

 やきそばわたあめ、かき氷

 どんどんつくね、どんつくね

 フランクフルトは、特大級

 神社の前には、屋台がズラリ

 B級グルメだ、ぽんぽこぽん

 屋台のおじさん、にっこにっこ

 まつりの夜は、いつまでも

 

(補足)

   2番の歌詞の五行目「ぽんぽこりん」とは、B級グルメな屋台料理を食べ過ぎて、おなかがぽんぽこしてる様子を現しています。

どらねこクエスト〜はらペコ勇者の大冒険!!〜 その71

「何だいこのぐらいの傷、ぼくはまだ全然へこたれてなんかいないよっ!!」

 ガバッと勢いよく起き上がる聖戦士クリムは、「おおトロの剣」を構えます。

「私だって、こんなの気にしませんから!」

「アタシだってそうさ、"炎のヘクトム"なんかで決着がつくと想われたら困るのよね!!」

 神官マルミも魔女ケレナも、まだまだ元気いっぱいでした。

「おとなしく観念すれば、それだけ苦しみも少なくなると云うのに。まぁよいであろう、私もまだなぶる愉しみが足りんトコロではある。踏みにじって叩き潰してやろう、炎のヘクトム!」

 呪文を唱えた女帝ゾフィネーヌのてのひらから、再び6発の火の玉が魔女ケレナに向かって放たれます。

「ケレナさんこれで防いで、う〜さ〜ぎ〜お〜いし〜か〜の〜や〜ま〜」

 神官マルミが理力を詠唱すると、魔女ケレナのすぐわきにバリアーが出現しました。

「ありがとマルミ、アタシって一方的にやられるの性に合わないの、炎のヘクトム重ねがけ!!」

 神官マルミの用意したバリアーに守られながら、魔女ケレナも魔法で応戦します。女帝ゾフィネーヌと魔女ケレナがお互いに撃ち合った魔法の火の玉が、空中で激突し爆発しました。魔女ケレナが撃ち墜とし切れなかった炎のヘクトムは、バリアーに当たってぼよんぼよん跳ね飛ばされます。

「ケレナ、ゾフィネーヌから距離をとるんだ。格闘するのは、ぼくに任せて!」

 魔女ケレナの後方から、聖戦士クリムが猛然とダッシュをかけました。

「オッケー、アタシは後方から援護するわ。クリム、任せたよ!!」

 聖戦士クリムと魔女ケレナは、すれ違いざまにハイ・タッチを交わします。

「ゾフィネーヌいくよ、"おおトロの剣"の威力みせてあげる、灼熱の旋風!」

 走り込んだ聖戦士クリムは、そのまま体を炎の渦と化させました。

「フン、全くツまらんな。全く見飽きたと云うモノだ、その灼熱の何とやらは。私は神になるのだ、神はお前のようなちっぽけなる存在に斟酌せん!!」

 無数の剣が、女帝ゾフィネーヌと地獄の破壊ねこ「メギムトゥ」の周りを回転し始めます。炎をまとって回転する聖戦士クリムと、無数の刃の竜巻が激突しました。

「勇者とやら、その程度の力なのか?退屈であくびがでそうだ、どれもう少し剣を早く回してやろう」

「もう少し、もう少しなんだ。あと少し、ぼくに力があれば」

 聖戦士クリムの「灼熱の旋風」と女帝ゾフィネーヌの「剣の舞い」の激突はは、「剣の舞い」に軍配があがりそうです。全力で回転する聖戦士クリムですが、徐々に徐々に押し返されていきました。

「クリムさんがんばって下さい、さ〜い〜た〜さ〜い〜た〜チューリップのは〜な〜が〜!」

 理力を神官マルミが歌うと、女帝ゾフィネーヌの周りを金色の輪が取り囲みます。

「ええいうっとしい、こんなモノが何になると云うのだ!!」

 女帝ゾフィネーヌは金色の輪を掴むと、そんまま力任せにねじ伏せました。しかしその時、ほんの一瞬ですが「剣の舞い」の回転スピードが、わずかに落ちたのです。

「よし今がチャンスだ、いくよこれがぼくの全力全開だ!」

 そのほんのわずかなチャンスを逃さず、聖戦士クリムは無数の剣の竜巻を突破していき一撃を加えました。

「ぐ、ぐわ〜、神である私が、こんなちっぽけなる存在に傷を負わされただと。これは冒涜である、決してあってはならんコトだ!!」

地獄の破壊ねこ「メギムトゥの唸り声と、女帝ゾフィネーヌの怨嗟の苦しみが、マルトム・クルメ城の大広間に響き渡ります。

先週に引き続きお知らせ

 「どらねこクエスト〜はらペコ勇者の大冒険!!〜」を愉しみにして下さってるお客さんには、大変申し訳ありません。ぼくのプライヴェートが忙しくなってしまい、いつ更新出来るか何ともいえなくなってしまいました。

 ただお約束します必ず完結させますので、隙を見ての更新になると想います重ねて申し訳ありません。

どらねこクエスト〜はらペコ勇者の大冒険!!〜 その70

…「早々に滅ぶがよい、己の分もわきまえず。"ねこねこファンタージェン"の真の支配者たるこの私に刃向かう愚か者共よ、…炎のヘクトム!!」

地獄の破壊ねこ「メギムトゥ」と一つになった女帝ゾフィネーヌは、魔法の呪文を唱えると両手を大きく開きます…。するとそこから六発もの「炎のヘクトム」が…、散弾銃のよ〜に炸裂しました。

…「スゴい魔法力だ、でもしっかりと防御すれば平気さ!」

先程持ち換えた「にくきゅう印の大楯」をしっかり構え聖戦士クリムは火の玉を受け止め、…神官マルミも「にゃんねこの法衣」のすそをしっかり抑えて飛びあがります。魔女ケレナの運動神経もなかなかのモノ、素早く飛び散る火の玉をかい潜ります…。

「甘く見てもらっては困る…、私の力はこんなモノではない。…少しずつ戦慄させてやろ〜、雷のタムカン!!」

高く掲げられた女帝ゾフィネーヌの右手から、…3筋の稲妻がほとばしりました。3筋の稲妻はまるでレーザー・ビームのように、大広間のじゅうたんを焦がしながら一直線に聖戦士クリムを狙います…。

「何てスゴいパワーなんだ…、これはとても防ぎ切れない!」

…聖戦士クリムは「にくきゅう印の大楯」で防ごうとしましたが、3筋の稲妻が直撃すると。盾を構える右手がガクガク揺れてしまい、…やがて吹き飛ばされました。

「クリム、大丈夫…!!?」

「ゾフィネーヌあなたは魔法の力はスゴいですが…、武器を取って戦えますか!」

…聖戦士クリムに魔女ケレナが声をかけるより早く、女帝ゾフィネーヌの注意が聖戦士クリム逸れてる隙に神官マルミは「ねこの手も借りたいメイス」を振りあげ走り寄ります。

「全知にして全能である私には、…一分の隙も存在しない。見よ、そして思い知れ、剣の舞い…!!」

てのひらを天に差し向け両腕を掲げたゾフィネーヌの叫びに応じて…、無数の剣が出現しました。…そしてその宙に浮かぶ無数の剣は、竜巻のよ〜に回り神官マルミに襲いかかります。

「こんなのが何ですか、…イタッイタタッ、キャア〜!」

竜巻のよ〜に回る剣のいくつかを、「ねこの手も借りたいメイス」で打ち落とした神官マルミですが…。剣の数があまりに多くその回転が早かった為…、遂に巻き込まれて尻もちをつきました。

…「どれだけパワーがあっても、その図体でしょ?ど〜やってアタシの魔法をかわすの、…雷のタムカン!!」

地獄の破壊ねこ「メギムトゥ」と一つになった女帝ゾフィネーヌの頭上に、魔女ケレナは魔法の呪文を唱えて雷雲を発生させます…。

「これだけ教えてやってもわからんとはな…、どれだけ浅はかなのか。…いや下らん、実に下らん!」

女帝ゾフィネーヌが腕を組むと、…今まで見ていた姿がまるで陽炎であるかのよ〜にかき消えました。

「えっ何それ、そんな魔法ないよ…!!」

背後に殺気を感じて魔女ケレナが振り向くと…、そこには地獄の破壊ねこ「メギムトゥ」の真っ黒な巨体と女帝ゾフィネーヌの姿があったのです。

…「そなた、魔女だな?そなたは、…仕えるべき主を見誤ったのだ。真に仕えるべきはこの私であったとゆ〜のに、だがも〜遅い炎のヘクトム!」

こんなに至近距離から火の玉の散弾銃を浴びせられては、魔女ケレナもかわしよ〜がありません…。

「うっ…、く、くっそ」

…魔女ケレナは「炎のヘクトム」を重ねがけして何発かは撃ち墜としますが、地獄の破壊ねこ「メギムトゥ」と女帝ゾフィネーヌの圧倒的なパワーの前にうつ伏せに倒れてしまいました。