Black Swan -overload- 8

ゼクは、恐怖した。
彼にはわかるのだ。
奴には勝てない。
しかし、退くことは出来なかった。
…まあ、やれるだけのことをやるだけだな。
狗香炉は、圧倒的な闘志を放ちながら、ゼクの前に立ちはだかっている。
ゼクは、自分から仕掛ける。
浅い間合いで、二、三刃を交える。
ものすごい力だ。
手が痺れ、刀を手にするので精一杯だろう。
ゼクは、仕掛けては下がり、下がっては仕掛けを繰り返して、少しずつ後退していった。
「仲間の所に、逃げるのか?」
狗香炉は、ゼクの目論見を察していたのだろう。
嘲笑った。
ゼクは、茂みに隠れている警備兵の所まで下がってくると、呼びかけた。
「お前達は、撤退しろ。それからローランドを読んできてくれ、急いでな!」
警備兵達も、狗香炉の異様な雰囲気に気づいているのだろう。
血相を変えて、走り去った。
狗香炉は、やがて自分から撃ってきた。
ゼクは一撃一撃を受ける度、骨が振動しているのがわかる。
自分からは、撃って出られなかった。
狗香炉の矛は、矛の柄の部分まで全体が鉄で出来ている。
その重量のある矛に、しっかりと体重を乗せて撃ってくるのだ。
いつまで受け切れるのか、自信がなかった。
しかし、ローランドが来るまでは凌がなかければならい。
それでも、狗香炉が一撃を繰り出す度、一歩また一歩と退がっていった。
「最初の威勢はどうした、そらっそらっ!」
ゼクの刀は、名刀"吉祥天"だ。折れたり、曲がったりはしない。しかし…、ゼクの態勢が崩れた。
「行くぞ、止めだ!」
狗香炉の鋭い突きが飛んできた。
ゼクは後ろに退がって間合いを取ろうとするが、退がりきれずにゼクの胸当ては砕かれ、もんどうりうって後ろに転がった。
…ちくしょう、これまでか!
ゼクは、死を覚悟した。
しかし、狗香炉は何も仕掛けて来ない。
待っているのか…?
ゼクは、立ち上がって身構えるが、ダメだ、足に来ている。
「大将どうした?止めを刺さねーのかよ!」
狗香炉は、豪快に笑い飛ばした。
「ハッハッハ!小僧、お前の太刀筋はなかなかいいぞ。わしがもう少し稽古をつけてやるわ。そら、かかってこい!」
ゼクの血は沸き立った。
怒りではない。
乗り越えたい、そう考えた。
これは、勇気だろう…。
ゼクは、不思議と気持ちが静まった。
戦いの趨勢については、もう忘れてしまった。
目の前に構えている"吉祥天"と、狗香炉だけが現実だった。
狗香炉も察したようだ。
笑うのを止め、真摯な面持ちで構える。
辺りは静寂に包まれた。
太陽は、ゆっくりと昇っていく。
ローランドは到着した。
しかし、二人の異様な雰囲気に手が出せない。
やがてゼクは、あの不思議な表情を浮かべた。
小鳥の群れが、甲高くさえずりながら飛び立った。
ゼクは踏み込む。
一歩!
狗香炉は、矛を振り下ろす。
ゼクは、この時気付いた。
受けるから、力に負ける。
逆らわずに、流せばいいのだ。
ゼクは、矛を左に流す。
二歩!
狗香炉は、矛を振り上げた。
ゼクは正面から、右に流す。
狗香炉は、態勢を崩した。
三歩!
狗香炉は、踏ん張りながら突きに来る。
ゼクは、読んでいた。
最後は突きだろう、と。
ゼクは半身になり突きをかわすと、左の脇で槍を抱え、力一杯引いた。
狗香炉は、とっさの判断で矛を手放す。
ゼクの"吉祥天"が、瞬時に閃く。
狗香炉は、間一髪腰に下げていた剣を抜く間もなく、鞘ごと引き千切って受けた。
その時、若い男の声が響いた。
「狗香炉!今日こそ、決着をつけてやるぞ!!」
白銀に輝く甲冑に身を包んだ騎士が、真っ白い馬を跳ばして、狗香炉を撃った。
「お前は、セト!」
ローランドと我に返り、ボウガンの狙いを定め発射した。
矢は、狗香炉の左肩に突き刺さったが、狗香炉は何でもないことのように矢を引き抜き、悠々と牡牛に乗り込んだ。
「こんなに大勢に囲まれては、わしにもどうにもならん。また会おうぞ、諸君!」
狗香炉は香炉は、牡牛を飛ばして走り去った。
ゼクは緊張の糸が切れ、その場にしりもちをついた。
「ゼク、大丈夫かよ!?」
ローランドが、慌てて駆け寄る。
「へっ、大したことねー。」
ゼクは口ではそう言ったが、立ち上がれない。
「君が、ゼクくんだね?」
白銀に輝く騎士が馬を降り、兜を脱ぎながらゼクに近づいて来た。
涼し気な目元の、さわやかな笑顔の青年だ。
「アンタは?」
「ぼくは、セト。聖コノン騎士団の団長をしている。話に聞くと、今夜の戦いの指揮を執ったのは君だそうだね。見事だ!一人の死者も出さず、12体の黒き騎士を撃退するなんて…。」
ゼクは思った。
こいつも、エルフか。
気にくわねーな…。
ゼクは、そこで気を失った。