遥かなる旅 14

その領主様の名前は、スペトと言いました。
スペトは、スペインのバスク地方の辺りを、治めていました。
領主として、家督を継ぐまでは、海軍にいた経験があり、なかなかの切れ者だったのです。
スペトは、周辺の領主達に呼び掛け、独自に海上パトロール隊を、組織しました。
またその他にも、自分達の領内の港に入ってくる貿易船に、護衛の船団を付け、安全を確保しました。
ただ、それらは今までも、行われていました。
海賊達にとって、最も厄介だったのは、スペトは沢山の資金を投入して、スパイ達を雇った事です。
そして情報を集め、海賊達の陸の根城を、徹底的に燻り出し、叩いて行ったのでした。
海賊達は、焦りました。
海から陸から、確実に追い詰められて行ったのです。
そこでガヌフ達も、一計を案じました。
自分達も、お金で人を雇い、スペトの幼い息子(まだ、赤ん坊です。)を、誘拐させたのです。
そして、その子供の命を担保に、交渉を開始しました。
自分達に、今まで通り、自由を与えるように、と。
エリヤとゴドは、その子供の世話を、押し付けられました。
二人は、双頭の毒蛇号の一室で、子供の世話に追われるように、なりました。
ゴド「おい、エリヤ…。何か、変な臭いがしないか?香ばしい様な、切ないような…。」
エリヤは、驚きました。
エリヤ「そういえば、そうだな。でも、オムツならさっき変えたし、その時ウンチは出ていたぞ?もう出ないと、思うんだが…。」
二人が、子供のオムツをめくると、そこには可愛らしいウンチが、こんもり出ておりました。
ゴドは、ウンザリしました。
ゴド「このガキ、またやりやがった!クソガキってのは、この事じゃないか。こいつは、クソばっかりだ!全く、一日に何べん垂れたら、気が済むんだ。」
エリヤも、もうウンチを見るのは、飽き飽きでした。
エリヤ「その通りだよ。俺達は、あのエリヤとゴドだっていうのに、何でこんな事をしてるんだ…?でも、仕方がない。今はこのガキが、どんな財宝より価値があるんだ。今の内だけ、そうだ、今の内だけだ…。」
二人はミルクを、飲ませようとしていました。
しかし子供は、嫌々をして、なかなか飲もうとしません。
ゴド「ほら、クソガキ!垂れた分だけ、飲むんだよ。そうじゃなけれりゃ、帳尻が合わんじゃないか!お前の命は、俺たちの命でもあるんだ…。もしこんなところで、飢えて死んだりしたら、俺たちはどうなるか?そんな事、想像したくもない。」
エリヤも、子供の口に、哺乳瓶を無理やり突っ込んで、飲ませようとしました。
エリヤ「悔しいが、ゴドの言うことだって、本当だ。俺たち海賊の命は、お前にかかってるんだ!ほら、口の中に入れるだけじゃなくて、飲み込めよ。何してるんだ…?腹が、減ってないのか。」
そして、二人が夜寝ていると、子供は不意に泣き出して、二人を叩き起こすのでした。
ゴド「ほ〜ら、よしよしいい子だ、泣くんじゃない。もう、本当に勘弁してくれよ。こいつの面倒を見るようになってから、満足に眠れた事がない。全く、ガキってのは、皆こんなに面倒で、手の掛かるもんなのか?」
エリヤは、子供の顔を、引っ叩いてやりたいのを、必死にこらえていました。
エリヤ「こいつが大人だったら、刀を突きつけりゃ、何だって言うことを聞くのに…。一体、何様のつもりなんだ!クソは垂れる、ミルクは飲まない、夜泣きはする。まるで子供ってのは、小さな王侯貴族だよ!何だって、やってほしいと事を、やって欲しい時にやってもらえるって言うんだからな。」
しかし二人は、憎まれ口ばかり叩いていましたが、ずっと世話をしていく内に、段々と情も移り、子供の顔が、随分可愛らしく見える様に、なって行ったのです。
二人は子供に、自分達だけでマイヨル、と名前をつけました。
マイヨル、とその名を呼ぶ度に、何となく幸せの様なものを、感じていたのです。
そんなある日、ガヌフ船長がやってきました。
二人は、子供の様子を見に来たんだろう、と思いました。
ゴド「船長、交渉はどうなりました?いい条件は、引き出せそうですか?」
ガヌフ「…。」
エリヤ「子供の世話は、バッチリですよ。最近じゃ、夜も少しは寝るようになったし、ミルクも大分飲んでくれるように、なりました。」
ガヌフ「…。」
ガヌフ船長は、何も言いませんでした。
子供の顔を、ジロリとにらめつけると、おもむろに口を開いて、こう言いました。
ガヌフ「交渉は、決裂した。このガキを、殺せ。」
二人は、ガヌフ船長が去っていくと、相談しました。
ゴド「どうする、エリヤ?あのバカマイヨルを殺せなんて言いやがる!俺は、マイヨルを見てると、妙に懐かしい気分になる。どうしてなんだろうな…?こいつを殺すなんて、まっぴらごめんだよ。」
エリヤも、その意見に賛成でした。
エリヤ「俺だって、同じ気持ちだ…。今までの俺は、戦うことしかなかったが、こいつは何だか、全然違う俺を、引き出してしまった。ほら、見ろよゴド。笑ってる…。」
マイヨルは、二人を見て、無邪気に笑っていました。
エリヤは、決断しました。
エリヤ「ゴド、聞いてくれ。小舟を使って、この船を抜け出そう!そして、この幼いマイヨルを、スペトの所に、返してやろうじゃないか。」
ゴドも力無く、うなだれながらいいました。
ゴド「そうするか…。そうすりゃスペトから、たっぷりお礼を、踏んだくれるだろうし…。いや、無理かな?縛首か…。でも、いいやな。一生に一度くらい、何かいいことをしておこう。神様に、恩でも売っておくか!」
二人は、早速準備を整えて、夜の闇に紛れて、小舟に乗り込み、双頭の毒蛇号を脱出しました。
そして小舟を漕ぎに漕ぎ、段々と陸地が見えてきました。
ゴド「上手くいったな!ここまで来れば、大丈夫だろう。あいつら、今頃大慌てだろうよ。ふん、俺たちをなめた罰だ!」
エリヤは、まだ油断は出来ないと、考えていました。
エリヤ「スペトの所にたどり着くまでは、用心を怠るなよ…。ガヌフはあれで、悪賢い男だ。何かしら、必ず手を打ってくるだろう。あっ!あれを見ろ…。」
陸地には、ガヌフ船長と、相当の毒蛇号の乗組員が、ずらりと並んで待っていました。
ガヌフ「よう、久しぶりだな…。この俺が、お前たちごときの浅知恵に、気付かないとでも、思っていたのか?」
エリヤ「ダメだ!一度海に出よう。舳先を反対に向けろ!」
ゴド「うわあー!あれは、双頭の毒蛇号だ!」
二人が、小舟を反転させると、そこには双頭の毒蛇号が、迫っていました。
ガヌフは、勝ち誇った様に、言いました。
ガヌフ「観念しろ。逃げ場はない。」
二人は、捕らえられて、砂浜に引き出されました。
ガヌフ船長は、二人を上から見下して、言いました。
ガヌフ「お前達は俺の、厚い信頼を裏切った…。それは、死をもって償わなければならない。しかし、お前達のチンケな命では、俺の心についた傷は、癒されん。もっと、苦しませてやる…。お前達の重い罪が、償われるようにな。あそこに、あの場所に連れて行ってやろう。どこだか、わかるな?しかし、その前に…。」
ガヌフはマイヨルを、一捻りで殺しました。
海賊達は、ニヤニヤしていました。
仲間を裏切った海賊が、連れて行かれる場所。
それは一つしかなく、とても恐ろしいところだったのです。
しかし、エリヤの胸には、マイヨルを失った悲しみが、渦巻いていました。